らないけれども、さもそれは左様ありそうな心地がする。私の父が死んで行く時、母が臨終の時、誰かが小声で今ちょうど引き潮時ですというた不気味な記憶が、私の頭の底にこびりついている。
潮が引いて行く、光が去って行くということは何しろ陽気な心を起こさせない。その代り多少とも真面目であり厳粛であり笑いごとではすまされない。気狂いかやけくそでない限り、人はそう違った感情を起こし得るものではない。人の魂の去って行く時、嬉しく思うものは葬儀会社の重役くらいのものかも知れない。正月元旦を終日泣いて暮してみたりする余興はあまり流行しないだろう。
夕顔、朝顔、昼顔とは誰が呼び出した名か知らないが、それはさも涼しそうな朝を代表する顔である。そしてその季節が来ると、勝手に素直に季節向の顔は咲き始める。
顔はまた看板だともいえる。人間の看板は顔である。すなわちレッテルともいう。ポスターでもある。月、虫、天高く、あるいは秋草、紅葉等は秋の看板である。秋の遊覧地の広告がしたいので注文すると、図案家は早速銀泥を皿に盛って大きな月を塗るであろう。その下へちょっと虫と秋草のあしらいである。そして何々鉄道と記せばそれ
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