うて何をして来たかということは、どんな素人にもほぼ見当のつくことであった。
彼女は一晩中寝ずに心配した姉と姉の亭主とそのことで驚いて田舎から駆けつけた僧侶である彼女の兄とに責められて、とうとうある男との関係を白状してしまった。ある男はやはり寺の坊主だった。しかも最近のあいびきの夜は、満腹して寝そべった坊主のいうのに、実は俺には許嫁があるのでそれがなかなかの別嬪で、とてもお前のようなもの足元へも寄れん。お前の手を見てみい、亀の甲みたいやないか、そんなものを嫁にもらえるかい、といったそうだ。
彼女は自分の手を見てなるほどと思ったかも知れない。それだけ余計に腹が立つわけだ。
彼女は夢中でそのままその安宿を飛び出したが実家へはもちろん私の家へも帰ることが出来なかった。同時に彼女は彼女の体内にひそんでいるかも知れないところの坊主の血を感じたりするともう帰るべき家はこの世の中では機関車の下か、松の枝より他には見当たらなかった。
彼女は本当に煙の如く市中をうつらうつらと歩き廻り、それから鉄道線路に沿うてあるいてみたが結局魂だけは線路へ一時預けとして彼女の抜殻だけが私の家へ帰って来たのであった。
そこで姉や兄はその抜殻を叱りつけて、田舎の寺へ連れて帰ってしまった。連れて帰ったものの、よほど注意しなければこの抜殻はいつ魂のもとへ帰ってしまうかも知れない様子なのであった。
四、五日経ったある日、いつもの如く本堂で兄は夕べの勤行をしていた時、いつもの如く彼女もその後ろに坐っていた。灯明が木魚や欄間の天人を照らしていた。しばらくするうちに何だか兄は後ろの方が変にひっそりとするのを感じたのでお経を読みながら、ふと振返ってみると彼女がいない。いなくなっているのに別段不思議はないわけだが、そのいなくなったあとには不思議な空洞が残されていたのだ。すると心の底に棲む虫が急に騒ぎ始めたのである。
兄は立ち上がって庫裡を覗いたが真暗だった。妻に訊いても知らぬといった。そこで彼女の下駄を調べてみたらそれがなくなっていた。兄はともかく提灯を携げて飛び出し、夢中で街道を走ってみた。
十町程行くと鉄道の踏切がある。
その踏切へ差しかかる四、五間手前のところにセルロイドの櫛が一つ落ちていた。それから黒い血らしいものと砂にまみれた髪の毛の一束[#「一束」は底本では「束」]が乱れていた。
兄はこの静物を見ると同時に坐ってしまった。腰が抜けるということはほんまにあることだす[#「だす」は底本では「だ」]と彼は後に話していた。
これではいけないと思って無理から立ち上がり慄えながら線路を探し廻ったが、不思議にも肝腎の死体がなかった。
ちょうどそこへ村人が通り合わせて、彼はAを今駅の構内へ運んだから、早く行ってやれ、まだ虫の息はあるようだからと知らせてくれた。
H駅のうす暗い八角形のランプはいつも蜘蛛の巣で取り巻かれている。その下のうす暗い片隅の蓆の上に彼女は寝かされていた、兄が行った時、眼を開いて何かいうのである。おそるおそる近寄ってみると彼女は片手両足を失い至極簡単なる胴体となってしまっていた。
彼女の愛人から亀の甲だと呼ばれた彼女の大切なその手はどこへ落として来たものか影も形もなくなっていた。
集まって来た駅の人達も村人も、もうあかんなといっているし、警察の人も警察医も、もうあかんといった。兄ももうあかんと考えた。
兄は電報で、彼女の姉とその亭主を呼んだので彼らは終列車で到着した。姉は蓆の上で無残なる胴体と化けている妹を見て泣いた。しかしその胴体はしきりに水を要求している。そしてその色魔坊主を取り殺すと叫んでいる[#「叫んでいる」は底本では「呼んでいる」]。
しかしどうせもうあかんものなら病院へ入れることは無駄なことでもあるし、費用という点も至極考えねばならぬことだしするのでとりあえずまあ[#「まあ」は底本にはなし]家へ運んで置いたらよろしいやろ、どうせあすの朝までだすさかいということに話がきまった。
彼女は最後の一夜を玄関[#「玄関」は底本では「玄間」]の庭の片隅へ蓆を敷いて寝かされ呻き通した。一族は何が何であろうとも、まず一杯飲まねば助からぬということになり座敷では相談がてらの酒宴が開かれた。皆がもう朝までのことだといってその手筈をきめたにかかわらず、死骸となり切れないのが彼女自身である。蓆の上でだんだん意識がはっきりとしてくるのであった。
翌朝、彼女はお粥が食べたいといい出した。ある男はひそかにああそれがいかん、変が来る前にはたべたがるものだすと鑑定した。
しかし彼女はお粥が大変うまかったといって喜んだだけで、一向変調な顔をしないのみか多少以前より喋り出して来たものだ。その喋るというのがまたおかしいとまだ未練を残す者もあった。
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