しかしそれは疲れたらタクシーへ乗る心もちで芝居へ行く。煙草の代用、カフェーのつもりで行くというきわめて不埓な見物人である。まさに大阪的見物の致し方である。だから舞台では何をしていてくれても一向差し支えはないのだ。手品でも旧劇でも新劇でも浄瑠璃、落語、何でもよいのである。要するに見物人の懇親を邪魔さえしなければよいのである。そして役者は好男子であればいい。
しかしながらこれでは名人も芸を磨く気にはなれないだろう。その点東京の見物人はもっと本気な意気を持っていると思う。私は名人を作るのは見物人の力だとさえ思っている。見物人が舞台へ背を向けては万事おしまいだといっていい。名人は決して現れないだろう。
私は東京で吉右衛門を見て、それから大阪でそれを見た。すると大阪では吉右衛門が半分しかないように感じられた。それは役者の不足のためかも知れないが、どうも私には張り合いの都合も随分あるのではないかと考えた。
それで常に関西にのみ多く住んでいる私は、つい芝居を見に行く本気を失ってしまう。たまたま行くとその不埓な見物をする。私は常に不埓な見物でことのたりる関西を淋しく思う。
見た夢
私は他人の見たという夢の話を聞くことに一向興味が持てない。夢はあまりに夢のような話であり過ぎる。しかしながら自分の夢を語ることはかなり面白いものであると見えて、昨夜見た夢をくどくどと語る人は多い。
私は今自分の見た夢を語って暫時、迷惑を与えようと思う。食べ過ぎた晩、過労の夜、神経がすこぶる衰えた時に見て、私の記憶に残っている夢の数は多いがそのうちの二、三の馬鹿らしきものを選ぶ。
A
私の庭で私は大園遊会を催した。集まるものは主として画家であり、ことに二科の会員はみな、出席していた。庭の大きな池には花見の船が浮かび、おでんが煮えつまりつつあった。
就中、一艘のボートには大勢の楽手がいて、素晴らしい行進曲を奏ではじめた。
それがとてもやかましいので少しうるさくなったから、私はやかましいぞと、どなった時、本ものの私は丸の内ホテルの八階のベッドの中に寝ていた。そして戸口を誰かが調子を揃えてドンドンガンガン囃し立てているのだ。開けてみると黒田重太郎、国枝金三両君がちゃんと靴をはいてさァ早く支度をせんか、と私をせき立てていた。
B
一台の単葉飛行機が銀色に輝きつつ都
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