ちょいちょいと舞台を眺める教育を受けたのである。だから私は充分大人となってから後も、芝居というものは何か退屈をきわめた時に芸妓を連れて遊びに行く場所だとばかり思っていた。芝居の中心は舞台の方になくてわれわれ見物人の方にあるようだった。だから今私が小さい時のことを考えても、舞台で何を演じていたかということはあまり記憶に残っていない。ただ時に大きな月がおりて来たり、波が動いたり、その波と波との間を何か美しいお姫様が流れて来たり、それが助けられたり、馬に乗せられた罪人の娘が引摺られて来たり、寒い時に役者の素足がふるえていたり、切腹したり、雪が降ったり癪を起こしたり、刀を抜いたりした断片を覚えているだけである。それが何という芝居でどんな筋であったかも皆忘れてしまっている。それよりも私は私の側に並んでいた芸妓の話や、父の顔や、女将の肖像、盛られた御馳走の方を多く記憶する。あるいは時には芸妓の代りに母と女中であったりしたこともある。
 私はその後、学校生活のためや、肝腎の父が死んだりして十年以上も殆ど芝居を見ずに暮してしまった。
 今度は父の代りに私は友人に誘われて再び芝居を見るようになった。十何年間芝居というものを見なかった私は、随分進歩も変化もしたことだろうと思って出かけたところが、不思議なことにも芝居の中はやはり昔のままの姿で見物人は私の父と同じ真似をしていた。芸妓が何かたべながらわさわさとしていて、舞台では十幾年前と同じ役者が同じ顔をして同じせりふを申し上げていた。私は芝居の国では地球は回転しないのかと思った。
 芝居だけは十年位、欠席していても決して時代に遅れないのだという自信を私は得たものである。なるほどこの芝居なら、せめて何か食いながらでなくては見ていられないかも知れない。芝居見物というのはあの狭い桝の中で家族親類は懇親を結び、芸妓は旦那と、男は女と、懇親を結ぶ場所であり、そして舞台では余興をやっていると見る方が本当かも知れない。
 その代り舞台では、いかに名人といえども見物人が背を見せて勝手な話に耽り、勝手にめしを食い酒を飲んでいるのだから、今必要なせりふを申し上げましょうと思っても、少しも見物人へ通じないのだから、まったく何をする張り合いも抜けてしまうことだろう。かくして役者と見物人はお互いに殺し合うのではないかと思う。
 以来私は時々それでも芝居は見に行く。
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