中央電信局|中之島《なかのしま》公園一帯は先ず優秀だといっていい。なおこれからも、大建築が増加すればするだけその都会としての構成的にして近代的な美しさは増加することと思う。ただあの辺《あた》りの風景にして気にかかる構成上の欠点は、図書館の近くにある豊国《とよくに》神社の屋根と鳥居《とりい》である。あれは、誰れかが置き忘れて行った風呂敷包《ふろしきづつ》みであるかも知れないという感じである。
大阪には、甚だ清潔に休息し得る本当のカフェーというもの甚だ少い。殊に南の盛り場に至ると全くないといっていい。そのくせカフェーはうるさいほどあるのだが。
先ごろも、甚だ野暮《やぼ》な次第であるが、三組の夫婦づれで心斎橋を散歩した時、あまりにのど[#「のど」に傍点]が乾《かわ》いたのでお茶でも飲みましょうといったが、その適当な家がないのだ、ふと横町に多少静からしい喫茶の看板を発見してドアを開《あ》けると、これはまた例の青暗い家だった。われわれ夫婦たちの間へ、一人ずつの女給が割込んだものだ。さてわれわれ男たちは何事を喋《しゃべ》ってよろしきか、女給は何を語るべきか、細君は如何なる態度を示すべきかについては暫《しばら》くの間、重き沈黙が続いたのちわれわれは出がらしの紅茶と不調和と鬱陶《うっとう》しさを食べて出た。
しかしながら、大阪のカフェーは旅の空か何かで訪問したらさぞ不思議な竜宮《りゅうぐう》だろう。和洋の令嬢と芸妓《げいぎ》、乙姫《おとひめ》のイミタシオンたちがわれわれを直《すぐ》に取り巻いてくれる。しかし彼女たちは踊らず、歌わずただ取り巻いてチップだけは受取ろうという訳だから、十分間で十分の退屈を味わうことが出来るかも知れない。だがしかし、あれは一体要するに、何をして遊ぶ処だか、あのややこしい、近代性は飲み込めないのだ、しかし、名称は女|給仕人《きゅうじにん》だから給仕のつもりで控えている訳だろう。だが、それにしてはあまりに多過ぎるうるさい悩ましくも美しい給仕人ではある。とにかく大阪のみに限らず日本の近代風景は、かなりの悲劇だ。ともかく決して面白くもないが、万事を諦《あき》らめて、私はやむをえず心斎橋筋をそれでも歩いて見る。
観劇漫談
どんなくだらない展覧会でも、決して見落したことがないという絵画愛好家がある如く、本当の芝居好きという人物になると、如何なる芝居
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