以外の場所へ遠慮なく出入りすることが、多少許されているからであるかも知れない。そして家の中に蚊がいても、客に対してさほど赤面する必要はないようだが、畳の上を蚤がしきりに飛んでいたり、虱を客へ伝染させたりしてはまったく赤面せずにはいられない。
しかしながら自分の身体のうちに多くの虫を同居させ、養いともに苦労していることを感じていると、蚤や虱も憎めるものではなく、あまりうるさくもないものだ。
私はその貧乏臭い彼らとは相当の馴染を持っていた。多くの彼らと常に馴染んでいるとあまり邪魔にはならないものとなってしまう。そして猫が時々蚤をせせっている如く、人間は猿股を電灯の光で眺めてみたり、乞食や仙人は青葉の下で虱を食べたりする、それは彼らを憎んで食べているのではなく自然を楽しみながら煙草の煙を吸う如く、彼らの一つ一つを捕えて食べているのだと思われる。
南京虫の家に住みて南京虫を忘れ、蚊の中に住みて蚊やり香を焚き、団扇でそよそよと彼らを追うことは、また夏らしき情景を作るためにしている仕事のようである。
貧乏で退屈で希望なくてつまらない時、私は蚊にたべられた場所を掻くことを楽しんだことさえあった。パリの客舎でノスタルジーを感じた時、南京虫のきずあとをいつまでも[#「までも」は底本では「まで」]掻いて長い時間を消したことがあった。
冬のある暖か過ぎる日にはふと一匹の蝿がうなりを立てて飛び廻ることがある。私はその音で冬の寒さを忘れることが出来る。
冬から春へのある季節になると、何という種類の蝿か私にはわからないが、妙に細長く力のない蝿が便所の中へ発生することがある。その蝿は発生すると同時に恋愛を始め、恋愛をつづけながら、しかし少々のことでは離れず重なり合って死んで行くのを見る。まったく猥らな相貌を呈した厭味な蝿である。
私は郊外へ住んでから蚊の多くの種類を知るようになったが、一つだけ私の厭な奴があることをたまに発見する。それはお尻を高射砲の如く突き立てて壁へとまるところのマラリヤ蚊である。私がインド洋航海中同じ部屋にいた人がシンガポールへ上陸した時、その蚊から頂戴して来たマラリヤを発病したのだ。蒸暑いムンスーンのインド洋上で故郷を思いながら四〇度の熱を一日何回となく繰り返すことはまったく気の毒だと私は思ったが、しかし狭い同室で発汗している人があることは、そしてそれがマラリ
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