の如く、いもむしや狸にも似たわが子の眼玉へ接吻したりなどすることになる。
しかし不幸なことにも接吻しながらも変な顔していやがるなと、心の底では思っている。しかしその子は何かの因縁とか因果の種とかいうべき怖ろしいものだとあきらめていて抱いている。
ところがこの変なものを産み出すための難産には随分の体力が必要である。私が一番情けなく思うのはこの体力の不足である。
ことに油絵というものは西洋人の発明にかかるところの仕事だけあって、精力と体力とで固めて行く芸術だといっていいかと思う位のものである。神経の方は多少鈍くとも油絵の姿だけは出来上がるものだといって差し支えない。
私は日本人全体が西洋人程の体力をもっていないことを認めている。それは性慾や食慾について考えても同様である。
日本人の中でも私などはもっとも体力の貧しい方である。私が徴兵検査の時、体重は十貫目しかなかった。検査官の一番偉い人が十貫目という字と私の顔を見比べて、どうかお大切になさいといって、いの一番で解放してくれたものである。
以来、私はもう死ぬかと思いつつもインド洋を越えてフランスまでも出かけて今なお生きているが生きていることに大して自信をもっていない私が、難産をつづけながら因果の種を抱こうというのであるからこれもまた因果なことである。
世には病身にしてかつ人一倍淫乱だという者がよくあるものだ。私はそれかも知れない。しかしこの行いだけは止めるにも止められない。
その上、文明がまだ中途半端で混沌としているので、西洋画家の生活が殆ど成立っていないから、まったく生活とは無関係であり、勝手な仕事となっており、しかし多情多淫であっては、やがては疲れはてて奇怪なる低能児を抱えたまま行き倒れてしまうのではあるまいかということを、私の虫が知らせてくれるのである。
現に行き倒れつつある多くの先輩を見るに及んで情けなく思う。由来私は政治家の死や何かにあまり悲しみを感じないが、名妓のなれのはてとか、役者、二輪加師、落語家の死、あるいは難産しながら死んで行く画家のことを聞くと本当に心が暗くなる。
[#地から1字上げ](「アトリエ」昭和二年九月)
あまり美しくない話
蚤、虱、蝿、蚊、南京虫、何とそれは貧乏臭い虫類であることか。
しかしその中でも蝿と蚊はさほど貧乏の匂いを持っていない。もちろん蝿と蚊は貧乏
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