をかぶって、遠慮なく飛沫《ひまつ》を周囲へ飛ばせ、謡曲らしきものをうなりながら自由体操を行うところの脂《あぶら》ぎった男などは、朝風呂に多いのである。何か見覚えのあるおやじ[#「おやじ」に傍点]だと思って考えると、それが文楽の人形使いであったり、落語家であったり、役者であったりする。
今は故人となった桂文団治《かつらぶんだんじ》なども、そのつるつる頭を薬湯へ浮かばせていたものであった。私の驚いたことには、彼の背には一面の桜と花札が散らしてあった。その素晴らしく美しい入墨が足にまで及んでいた。噂《うわさ》によると四十幾枚の札は背に、残る二枚の札は両足の裏に描かれてあるのだということである。その桜には朱がちりばめてあり、私の見た入墨の中で殊に美しいものの一つであり、その味は末期の浮世絵であり、ガラス絵の味さえあった。まず下手《げて》ものの味でもある。それは文団治皮として保存したいものである逸品だったがどうもこれだけは蒐集する気にはなれない。私はいつか衛生博覧会だったか何かで有名な女賊の皮を見た事があったが、随分美しいもので感心はしたが、入墨も皮になってしまっては如何にも血色がよくないので困る。
文団治は高座から、俺《おれ》の話が今時の客に解《わか》るものかといって、客と屡次《しばしば》喧嘩をして、話を途中でやめて引下った事を私は覚えているので、この入墨を見た時、なるほどと思った。
しかし、彼の話は高慢ちきで多少の不愉快さはあったようだが、私はその芸に対する落語家らしい彼の執着と意気に対して、随分愛好していたものだった。近ごろはだんだん落語家がその芸に対する執着を失いつつあるごとく思える。勿論、本当の大阪落語を聴こうとする肝腎《かんじん》の客が消滅しつつあることは重大な淋《さび》しさである。
太陽の光が湯ぶねに落ちている昼ごろ、誰一人客のない、がらんとした風呂で一人、ちゃぶちゃぶと湯を楽しんでいるのは長閑《のどか》なことである。
しかしながら、私はまた夜の仕舞風呂の混雑を愛する。朝風呂の新湯の感触がトゲトゲしいのに反して、仕舞風呂の湯の軟かさは格別である。湯は垢《あか》と幾分かの小僧たちの小便と、塵埃《じんあい》と黴菌《ばいきん》とのポタージュである。穢ないといえば穢ないが、その触感は、朝湯のコンソメよりもすてがたい味を持っている。その混雑は私にとって不愉快だが
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