代の記念塔として保護し保存したいものだと思っている。
近来大阪の都市風景は日々に改まりつつあり、新しき時代の構図を私は中之島を中心として、現れつつあるのを喜ぶけれども、同時に古き大阪のなつかしき情景が消滅してしまうのを惜むものである。
私は本当の都市の美しさというものは汚いものを取り捨て、定規《じょうぎ》で予定通りに新しく造り上げた処にあるものでなく、幾代も幾代もの人間の心と力と必要とが重なり重《かさな》って、古きものの上に新しきものが積み重ねられて行く処に新開地ではない処の落着きとさびがある処の、掬《すく》い切れない味ある都市の美しさが現れて行くのだと思っている。
私はそんな町を眺めながら味わいながら散歩するのが好きだ。
近代洋画家の生活断片
日本人は昔から芸術家を尊敬するところの高尚なる気風を持つ国民である。その代りややもすると芸術家は仙人か神様あがりの何者かである如く思われたりもする。めしなどは食わないものの如く、生殖器など持たない清潔な偶像とあがめられる。結構だが近頃はおいおいとそれが迷惑ともなりつつあるようでもある。ことに近代では神様や仙人そのものの価値と人気が低下しつつあるようだからなおさらでもある。
だいたい芸術家のその作品はいわば自分が楽しんだところの糟みたような[#「みたような」は底本では「みたいなような」]ものだから、それを売ろうというのは虫が良過ぎるという説をなすものさえたまにはある。まったくのところ芸術家は大金持ちであるか、臓腑なきものであるかであるとすれば、その説もいいけれども舌があり胃腑を持ち、その上に妻子を携え、仕事に愛着を持てば糟だといって捨ててしまうには忍びないだろう。生まれた子供は皆これ楽しんだ糟だからことごとく殺してしまってもいいとはいえない。
私は経済学者でもなく実業家でもないので、現代日本はどんなに貧乏か、不景気か知らないけれども、あまり景気がいいという評判だけは聞かされていない。その時代に芸術家志望者、油絵制作希望者は素晴らしい勢いで増加しつつあるのは不思議な現象だ。毎年の二科帝展等の出品搬入数を見ても驚くべき数を示している。これだけの胃と生殖器を持てる神様の出現は、一種の不安なしでは眺めていられない気がする。
すなわち日本画の世界の如くあるいはフランスの如く、画商人というものがあり、鑑賞家への仲
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