いうのは、もう月経も閉止する時分であるにかかわらず、急に何を感じてか、赤い襟《えり》をかけ出したり、急に素晴らしいネクタイをつけたり、禿頭《はげあたま》へ香水をふりかけて見たりし出した時に用うべき言葉である。近頃彼は急にぞけ出した[#「ぞけ出した」に傍点]とかいう。
 しんどい[#「しんどい」に傍点]とは、全くくたびれたという上にもっとなまぬるい複雑性が入り込んでいる処の、もっと軽い意味の、そしてどこかに深刻味のある、微妙なくたびれの心もちであり、一種のびやかな漫然としたつかれ心地を表すためにああしんど[#「ああしんど」に傍点]とかしんどうてたまらぬ[#「しんどうてたまらぬ」に傍点]とかいう、これも東京ではどんな言葉でいい表していいか私には見当がつき兼ねる。
 もっさりする[#「もっさりする」に傍点]という言葉は、何んでも本筋のものでなく田舎風で野暮《やぼ》でそのくせ気取っている処の、しかもしゃれてはいない処の、上等でもなく、美しくもない、多少きざに見える処の、何かゴタゴタして垢抜《あかぬ》けのしないものを指《さ》してもっさり[#「もっさり」に傍点]しているという。
 もっさりしたマチス[#「もっさりしたマチス」に傍点]といえば素描の力と認識不足のものであり、省略すべき処を略せず、拾うべき処を取落してしまった処の、垢じみてすっきりしない処のマチスかぶれの絵という事である。丹波篠山《たんばささやま》生れの鴈治郎《がんじろう》と熊本県人の羽左衛門《うざえもん》もまた、もっさりした種類と見ていい。
 もっさりしたヴラマンクといえば、大体右と同じ傾向のもので即ちヴラマンクに似てはいるが本当のヴラマンクがその絵を見たら恐縮して風邪《かぜ》を引くであろう処のどす黒赤き拙劣な絵という事になる。その他もっさりしたシャガール、ボンナアル、ブラック等この言葉を上へ戴《いただ》くいろいろのものは現代日本には殊の外多いようだから特に重宝な言葉であるといっていい。
 しかしながら、本当の田舎の、さも田舎らしくある処のものに対しては、このもっさり[#「もっさり」に傍点]という言葉はあて嵌《はま》らない、田舎で本当にさも田舎らしい女や男や料理に出会った時、それをもっさりとはいい得ない。それは、田舎の本筋のものだからかえってすっきりとしているのである。要するに田舎ものが、第一流のしゃれものを真似《
前へ 次へ
全119ページ中68ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小出 楢重 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング