であります。
 しかしながら左様に迷った揚句、引き当てたその極楽の道も、さて行ってみないとわからないあるいは辛抱のしきれない、退屈なところかも知れません。蓮華の半座をあけて待っているというたくさんな美人達も三〇年間も坐り通していたので、足がお尻へくっついてしまって、立てないで皆籠の鳥の歌を合唱して泣いている、憐れな女かも知れません。しかしまずいい所だという宣伝に迷わされて来た罰だとあきらめて我慢をすることになるのでしょう。案外へまなくじを引いて地獄へ落ちた奴の方が内心喜んでいるかも知れません。逆さにぶらさがって落ちて来る女の裸体など見ては、われわれどもなら毎日感激してついには地獄の鬼に使ってもらいたいという気を起こすかも知れません。しかし私などは体格が駄目だから、身体検査で落第して血の池へ落されることでしょう。娑婆にいた時には貧血症だったから、さてここで血を飲んで大変立派な人とならぬとも限らない。まったく一寸さきはいつも判らないものであります。
 こう書いている私自身が、この文章を終わる一分前にパッタリ死なぬものとはいえません、まったく少し心細い限りであります。
 一寸さきは暗とはよく昔から申されています、これは今の二〇世紀において一向変わらないのです、何もかもが進歩するから、ついでにせめて一年間位さきは見当のつく機械でも出来たら便利だと思いますが、しかしハッキリと見えてはまた大いに事面倒となるかも知れないでしょう。一寸さきだけは、決して人間にもらさないのはさすが神様の仕事であります。
 八卦やいろいろの占い、四柱推命などいうものがありまして、一寸さきを覗かせるようなことをいってくれます。
 人はせめて嘘でもいいから一寸さきは覗いてみたいものです。別して苦しい時にことに覗きたがります。そして八卦見の家ののれんをくぐります。
 一寸さきから何か出るかということは怖ろしいことだが、これが故に面白いのでしょう。相場やトランプや、博奕が面白いのも、一寸さきの運勢の興味でないかと思います。
 一枚の絵を仕上げるのもその通り、一寸さき一筆さきは暗であります。その絵がどんなに仕上がるやらわからない、そこに深い興味があります。この絵は駄目と初めにちゃんとわかったらたまりません。いくら自分は拙くとも何でもああして、こうしてと、思い疲れて一筆ずつ暗から暗を辿るわけなのです。そして終点は
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