者は被造物の最大なるものである。併しながら、聖者といつても、私は水晶でつくられたやうな人を描くのではない。私の描く聖者は人間性を超越したる神ではなく、人間性を成就したる被造物である。それは造られたものとしての限りを保ち、人生の悲しみに濡れ、煩悩の催しに苦しみ、地上のさだめに嘆息しつつ、神を呼ぶところの一個のモータルである。真宗の見方からは猶ほ一個の悪人であつて、「赦し」なかりせば滅ぶべき魂である。私は罪の中に善を追ひ、さだめの中に聖さを求めるのである。私は、たとひ、親鸞が信心決定の後、業に催されて殺人を犯さうとも、パウロが百人の女を犯さうとも、その聖者としての冠を吝まうとは思はない。
 願はくば我等をして、我等が造られたものであることを承認せしめよ。この承認はすべての愛でたき徳を生む母である。而して造られたるものの切なる願ひは、造り主の完さに似るまで己れをよくせんとの祈りである。



底本:「日本の名随筆86・祈」作品社
   1989(平成元)年12月25日発行
底本の親本:「新装・倉田百三選集 第一巻」春秋社
   1976(昭和51)年10月
入力:加藤恭子
校正:菅野朋子
2000年11月22日公開
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