「子ども」を守って生き得るときは結合せよ。そうした表現が今日の場合抽象にすぎるならば、人間生活の具体的な単位である国民道を共に生き得るときは結合せよ。その希望が持てず、その見通しができないときは別離せよ。とでもいっておいて大過ないであろう。かくてなお不幸にして一つの結合に破れたからといって絶望すべきではない。人生にはなお広い運命と癒す歳月とがあるからである。
ある有名な日本の女流作家の如きは幾度も離合をくりかえしてそのたびごとに成長したという話も聞いている。しかしながら私たちはかような離合の数のできるだけ少ないことを尊しとせざるを得ない。そしてその神聖のものはいつでも一回性《アインマールハイト》のそれである。ひとたび相愛して結合し、終生離れず終わりを全うする美しさに及ぶものはないのである。離合を重ねるたびに人間の、ことに女性の霊魂は薫染せざるを得ないからである。如何にハリウッドの女優のような知性と生活技法、経済的基礎とをもってしても、離合のたびに女性の品位は堕落し、とうてい日本の貞女烈婦のような操持ある女性の品位と比ぶべくもないのである。
人生における別離には死別にも生別にもさまざ
前へ
次へ
全17ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング