秘密にしておきたいような部分をも含んでいるのですから。
 しかしながら、きわめて少数の心ある人たちに真実に私的な意味で、君がその手紙の集をみせて下さることはかまいません。そしてその手紙の集に僕が一つの記念の言葉をかいて付加することは僕もふさわしく思いますから、ひまな時にかいて送らせていただきます。僕は君が僕との友情をそれだけに重んじていて下さることを感謝しないではいられません。そしてまた、あれだけの手紙をかくことはめったにあるまいという気もするのです。僕は今「父の心配」という四幕物の現代物の戯曲の三幕目をかいていますが、これはたぶん君に気に入ってもらえるだろうと思っています。
 僕のかいた物の中で一番すなおで教養的で僕の無理をしない自然な持ち味が出ていると思っています。来月初旬「俊寛」を、小山内氏が監督して左団次一派が、明治座で上演することになりました。艶子はあれからずっと病気がなおらないので、ねたきりでいます。この頃母が看護に来ています。僕はあいかわらず室に閉じこもったままで少しも外出しません。三月になったら時々出てみたく思います。一度どこかへ旅行がしてみたくてたまりません。君の研究がますます学術的に精密となり深奥となりゆくのを心からお祝いします。では今日はこれでよします。
 私からはたびたび便りをしなくても、からだのいい貴殿からはなにとぞたびたび便りを下さい。僕は君の手紙を読むのはたいへん好きなのですから。そしてその手紙のなかにある教養的な、君でなくては書けない、美にまで解かされた理智的空気に触れることは僕にとってよい刺戟《しげき》でもあるのです。僕が便りを怠るのは真実にからだのせいなのですから、あしからずゆるして下さい。
 君の歯の痛みが早く取れるように祈ります。ではお大切にいずれまた。
[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 二月二十六日。明石より)

   有島武郎の訪問

 おはがき拝見しました。二十日にいらっして下さるそうでうれしく思います。ずいぶん長い間御無沙汰しました。ようやく数日前から手紙も出すようになったようなわけなので御無沙汰をお許し下さい。あなたは健《すこ》やかで仕事に励んでいられるそうで喜びます。私は一時はずいぶん苦しみましたが、この頃は熱もなく、気分もよくなりましたから喜んで下さい。ただずいぶん長らく寝たきりだったので、頭を枕から離すと眩暈《めまい》を感じますので、床を離れることはまだできないでいますが、これはおいおい治ると思います。この頃になってようやく少しずつ読書ができるようになりました。「哲学研究」のあなたの論文を感心して拝見しました。りっぱな学術的論文と思います。そしてそういう論文としてのりっぱなスチィールを備えているのに感心しました。あなたがこういうものを書かれるようになったことを祝福したく思います。
 かつては私が志していた知的な世界へあなたが分け入られ、そして私が思いもかけなかったドラマチストになろうとしているのも不思議な気もします。けれど私はあなたの創作のほうの仕事をあなたが棄てられることはずいぶん惜しく思います。もしできたらそのほうの仕事もされてはいかがですか。しかしあなたのまれな精力をもってしても二つの方面の仕事がそのいずれかを希薄にせずにはできないようだったら考えねばなりませんね。しかしシルレルやレッシングやまたロマン・ローランなども、両方の仕事ができたのですね。ともかくこれまで書かれた創作のほうの仕事を発表されたらいかがですか。
 有島さんのところへ行っていたという小説なども、私や妹がその作のどこかに関係を持っていたにしても、私や妹に対する現実の愛と尊重とを信じている以上は狭量な、穿鑿《せんさく》だてをして気を悪くしたりしないことを誓いますから、その点は御心配なく発表されてはいかがですか。私は君の小説には知的な教養的な優れた要素が非常に多く含まれていて、そしてそれは今の日本の小説に最も欠けている点と思います。
 有島さんはあなたの作を読んで何といわれましたか。「青と白」などはどうなされましたか。私も近いうちに岩波から第二の本が出ます。「俊寛」と「歌わぬ人」と「病む青年と侍する女」とを集めてあるのですが、私はもっとたくさん書いてから集めて出したかったのですが、書店のほうの都合と私の生計のほうの便宜とで、貧弱な書物になって何だか気恥ずかしく思っています。そのなかの「歌わぬ人」というのは私の初めて書いた習作で、あまりモチーフがアプジヒトリッヒなので、今の私にはかなり気になる作なのですが、自分には思い出もあるし、友だちからも勧められたので一緒に集めることにしました。(それに「俊寛」だけではあまり薄くなるので)それからあなたに一つお断わりしなくてはならないのは、その作の中にひとりの詩人がピアノをひくところがあるのですが、その頃の私は音楽についてほとんど知識を持たなかったので、君の手紙にあったブラームスについての感想をその詩人に語らせ、そしてブラームスをひかせてあることです。そしてその詩人は作者が蔑意《べつい》をもって取扱ったキャラクターなのであるいはもしあなたが読まれたら、不愉快を感じられるかもしれないと思いますがこれは私のそういう方面の知識を持たなかったためですから悪く思わないで下さい。もっとも作者が好意を持って取扱った主人公にもあなたの手紙のなかから言葉が使ってあるところもかなりあるのです。
 とにかくその詩人は作者が最もきらっている文士のキャラクターを書いたのですが、その境遇もベルーフも主人公との関係もあなたとは全く異っていて、読者にあなたを連想させる心配は絶対にないと信じますから私は安心しているのですが、ただあなたが使われた言葉がその詩人に用いられている時には少し気持ちが悪いかと思いますが、前述のようなわけですからお許しを願います。
 私は今しばらく仕事を休まねばなるまいと思います。今年の春は知らぬ間に過ぎ去ってしまいました。明石の海も初夏らしく爽やかになりました。早く仕事を始めたく思います。「父の心配」というのは現代物で教養的なものです。梅雨《つゆ》がはれる頃までは仕事につくことはできますまい。それから妹が「葛の葉」というドラマを書きました。彼女ももはや二十五を過ぎますからこれからは発表させるつもりです。ではいずれお眼にかかっていろいろお話いたしましょう。
 それから私はまだ疲れやすいので少し話しては休み休みして幾度にも切って話をせねばなるまいと思います。これも含んでおいて下さい。有島氏も二十日に来て下さるらしいそうで喜んでいます。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛)

   「歌わぬ人」

 今朝お手紙拝見しました。明日午後来て下さるそうでうれしくお待ちします。あなたが京都から四時間もかかるところへいつも心にかけて訪ねようとして下さることをいつもうれしく思っています。ただ残念なことには私の健康が疲れやすくて長く話すことができないことです。それで少しずつ話しては休み休みして散歩したり蓄音機を聞いたりして泊ってゆっくりして、そのかわり私のからだが疲れないように私が注意することを私のあなたを迎える気持ちが愛と体とにかけているためでないことを信じて下さい。実はこの前有島さんたちといらっして下さった時に話し過ぎたので、後で疲れが出てその恢復に一週間ばかりかかりました。本当に病気は対人関係の慰めと餐《もてな》しを稀薄なものにしてしまう点で最も苦しい気がします。そして私のように溺れやすい者にはことに苦しいことです。
「歌わぬ人」は一幕物でなるべくなら発表したくなかったほどつまらないもので「俊寛」だけでは薄いのでいやいやながら添えたのですから期待されると困ります。ではお眼にかかっていろいろ話しましょう。ちょっと急いで返事だけ書きました。
[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 六月十一日。明石より)

   ゲーテの「親和力」

 その後心にもなく御無沙汰してしまいました。あなたから心をこめた手紙をたびたびいただいてそのたびごとに、私からも手紙を書きたい衝動を強く感じながら、私の心がある事件のために打ち砕かれて、深く苦しんでいたので、しみじみとお手紙を書くだけのゆとりを得るまでに力なく乱れてしまったので、今日まで手紙を差し上げることができなくて本当にすまなく思っています。
 ことに上州の山の中の小屋で私を思い出して下さって、あの深い孤独と、澄んだ叡智《えいち》とに輝いた便りを下さった時、また湖の畔《ほとり》の旅館からの静かな心をこめた手紙、また母上を東京に送って行かれて帰られた時の手紙など、感動と非常に親しいいきいきしたシンパシーとをもって拝見したのでした。あなたがそのようにも孝心深く、老いたる母上をなぐさめいたわりなされたことは、かつて別府にいた頃、あなたの手紙でよく知っている母上のことを思い出したりして、美しくそして称讚にみちた心で二人で旅しておられる様子などを心に描いたのでした。
 私はあなたの温かい人間的な愛情をあなたの母上に対せらるる行為において最もウィルクリッヒに感じます。(他の場合では私はあなたについてどちらかといえば超人的な意思と叡智とを感じるほうが多いのですが)私がこんなに御無沙汰したのは全く私が悩んでいたからでした。なにとぞお許し下さい。しかし今は努力ののち心の平静を取返し、進むべき途がはっきりと見えてきましたから安心して下さい。
 私は急に東京のほうに引き越す決心をしました。そして二十七日の午後七時、神戸を発する汽車で上京の途につきます。大森に艶子とともに住むことになりました。お別れするまでに一度お眼にかかりたいのですが、私もお絹さんも病気で寝ており、転宅の準備に忙しく取込んでいますし、あなたも学校の講義で忙しいことと思いますから、もしあなたにできるならば、京都駅で停車の間にちょっとでもお眼にかかってお別れしたく思います。お絹さんと地三とはしばらく明石に残り当分私だけで艶子はあとから上京することになっています。
 私はこの二十日ばかり腸を傷《いた》めて弱っていましたが、この頃ようやく恢復してきました。あなたとしみじみした別れをすることができなかったのを残念に思います。しかし、東京へはあなたはわりあいにたびたび出られることと思いますから、お眼にかかれる機会は少なくはなかろうと思います。私は先日「親和力」を読みました。そして実に感心しました。ゲーテの海のようにひろい、そして悠々としたおちつき、そしてそのなかに含まれた限りなく、複雑な要素、本当に磨かれた教養に感心してしまいました。礼儀とか作法とかいうものもゲーテにおいて最も適当な正しい意味で理解することができました。人と人との関係における、種々の心づかい、謙遜、節制などの用意にも感心しました。いたるところにゲーテの優れた、かつ耕された知恵が出ていると思います。私はこの小説において本当にゲーテに愛と尊敬を感ずることができたことを感謝します。そして種々の大切な物の見方考え方を教えられました。
 この頃は私も物事に対して一面的な考え方ではなく種々の方面から眺め、かなりひろい見方をすることができるようになってきましたが、この小説を読んでますますその方面に私の教養が必要であることを感じました。ゲーテにおいてキリスト教的要素と、ギリシア的要素とが非常に美しく調和されているのを感じました。そしてそのことは人間としても、芸術家としても私の常に志している課題でありました。近頃こんなに感心した小説はありませんでした。そして私はあなたの訳文が、ゲーテのこの作のムードをうつすのに最もふさわしく成功していることを感心せずにいられません。私にはあなたの訳が最も理解しやすく、そして正確に感じられました。この訳をぎこち[#「ぎこち」に傍点]ないと評する人があるのを不思議に感じました。あるいは私があなたの文章のスタイルを習熟しているからかもしれませんが、私は、この訳はあなたの頭のクリヤーなこと、そしてムードの品よく礼儀に適い、またクラシカルでい
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