。
ベートーヴェンについての本をお出しになる由、私のところにレコードがありまして、ベートーヴェンも少しありますから一緒に聞きましょう。楽しみにしてお出でをお待ちします。
ではお目にかかって、さよなら。[#地から2字上げ](十一月二十六日。明石より)
二、三枚ずつディクテイトしてもらって
お手紙うれしく拝見いたしました。あなたに若々しさが再び帰って来たように、いきいきした日を送っていられることをうれしく思います。
私は昨日明石へ来てから初めて外出して、電車で須磨まで行き入院していられる、小川君の奥さんを見舞って来ました。三年ぶりの再会をよろこんで二人とも病身ではあってもこうして生きて会われるのは幸福だと思いました。金曜日に来て下さるかもしれない由、私はできるだけたびたびお目にかかりたいのですが、実は新小説からたびたび頼まれて新年号に「俊寛」をまに合わせるために、二十日までに書き上げてしまわねばならないので、エネルギーが乏しいので心忙わしくくらしていますから、せっかくわざわざ来て頂いて落ち付いて話せなかったりして残念だと思いますから、かってがましゅうございますが、二十日以後にいらっして下さいませんか、そしたらゆっくりといつまでも話す事ができてうれしいと思います。
明石ではまだ一人も知人がありません。君が帰られてからは未だ一人も訪問者はありません。毎日静かに養生しながら二、三枚ずつディクテートしてもらって仕事をしています。それだけでも仕事をしていると思えば生きがいを感じます。関口君に御会いでしたらよろしく伝えてください。ちょっと取り急いで。いずれまた。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 明石より)
久保正夫氏宛
先日は京都からわざわざいらっして下さって本当にうれしく思いました。何のこだわりもなく親しく温かに語りあうことができて、昔の友情に立ち帰った喜びを感じることができました。私があなたに対してつくったあやまちや、また鋭い裁き方についての不満足を、少しも数えずにあなたの責めのみを感じていて下さるようですまない気がいたします。三年前に較《くら》べれば私の心も博くなりまして前に裁いたことをも今は受け入れるようになりましたし、私の感じたところではあなたの人柄も私には前よりも親しみやすく、温かく、また無邪気になられたように思われます。(このようなことをいうのは失礼ですけれども)それでこの後は二人の友情が、平らかに続いてゆくことを予感できるような気がいたします。
星坐表を語って下さってありがとうございました。一昨夜窓を開けて星を眺めました。月が明るいために星の位置ははっきりわかりませんでしたけれども、琴坐やペルセウスや鯨坐などと見分けることができました。Im Abendrot のテックストを送って下さってありがとうございました。あなたのひろい知識ならこの後も私の仕事に助けを与えて下さるように願いいたします。あなたの貴い学問上のお仕事に豊かな稔りのあるように祈っています。京都へは時々出る気ですからその時は寄せてもらいます。こちらへも土曜日にでも時々いらっして下さい。それから丸善へでもいらっした時に画の本でもいいのがあった時にはちょっと知らせて下さいませんか。またレコードや書物などに心当りのものが眼に触れた時にはちょっと知らせて下さい。お願いいたします。謙さんには近いうち手紙を出してあなたとの会話の話しも伝え、私との友情も回復したく思っています。私は昨日から少しずつ仕事を始めました。「俊寛」の二幕の二場を今書いています。今日も晴れた海に船が賑おうています。静かな心でこの手紙を書きます。御大切に。いずれまた。
[#地から2字上げ](十二月四日。明石より)
[#改ページ]
大正九年(一九二〇)
「俊寛」の完成
しばらく御無沙汰いたしました。紀州の海岸から帰られたのですね。そのように野に山にまた海に自然の膚と気息とにたえまなくふれ、また都会の人々が自分らの生活を、楽しく、ゆたかにするためにつくり出した設備や催しのなかで自分を富まし、また緻密な学究的労作のなかに、知性を鍛え、すべて人間の持ちうるカルチュアーの機会をことごとく享受することのできるあなたを心からお祝いしたく思います。あなたがいって下さるように、私はきわめて不利な外的条件のなかで自分の仕事をつづけています。けれども今は、私の心が静かさを保つことができて、人の幸福をも自分の不幸と較べて淋しくなるようなことはなく心からよろこぶことができ、また自分の生活に失望しなくなりました。私がそうなるまでには忍耐と祈りとで心の平和を恵まれるまでの苦しい時代が必要でありました。今は自分の運命を受け取り、ゆるさるる幸福を享《う》け楽しんで死を待ちつつ仕事にいそしむことができるようになりました。私はそれを恵みと思っています。私はこの頃は神に対し、人に対して感謝することを知ってきました。
私ごときものがこうして何不自由なく、(私はそれを享ける値はない気がします。ましてそれを要求する権利などはどこにもない気がします)暮らしてゆくことができることを感謝せずにはいられません。私は父の恵みと、友の好意と私の著書をよんでくれる人の報謝とで暮らしています。「われらの日々の糧を今日もまた与えたまえ」というような感じがしています。
私はいつも寝てますけれども、常に看護してくれる妻と、忠実なる助手とまた愛らしい男の子とまたその子供を非常に可愛がってくれる子守とに囲まれ、書物や絵や音楽が与えられ、晴れた日には「海の幸」を思わせるように港に賑わう船を数え、また窓の下の少しばかりの草木や、鳥やを楽しむこともゆるされています。私の心が貧しく潤うているならば、私の日々新しい興味で生きてゆく途《みち》は残っていると思います。心静かに暮らしていますからよろこんで下さい。家内と子供とは実は赤痢だったのですが、幸いに全快しましたから安心して下さい。
クリスマスには地三におもちゃを送って下さって子供も親もたいへんよろこびました。よく心にかけて下さいました。お礼申し上げます。正月はひとりの訪問者もなく淋しくしかし平和に迎えました。二日の午後あまり天気が美しかったので車に乗って明石中の町や川や公園などを見て廻りました。いろいろなものが私には物珍らしくいきいきと眼にうつりました。ことに道で会った朝鮮の少女の正月の晴着を着たらしい、愛らしい服装が今でも眼に残っています。赤や青の単純な、日本の巫女《みこ》の着るような服を着て、小さな靴をはいたのが母親らしいのと楽しそうに町を歩いていました。あなたの「ベートーヴェンの生涯」を近いうち読みたいと思っています。「イタリア紀行」も書物になるのですか。ぜひ読みたく思います。私は「俊寛」をとうとう書き上げました。これはしかし三年前の着想なので今では少し私とぴったりしない気がします。早くほかのものにかかりたく思います。おひまの時に遊びにいらっして下さい。幸福に仕事に実り多く暮らして下さい。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 一月五日。明石より)
恵みに向かって高められつつ
「ベートーヴェンの一生」をありがとうございました。これから読むのがずいぶん楽しみです。あなた自身の初めての著作を心から御祝しいたします。読み終わった後でいずれ私の感想を書いて送ります。先日のお手紙にありました、私のあなたに宛てた手紙集を読みたいとおっしゃる哲学科の人には、私は少しもさしつかえありませんから見せてあげて下さい。私が仕事を初めるまでの二、三年間の努力と悩みとがあなたに宛てた手紙のなかに最もよく現われていると思っています。ひとりの友にあれだけ身を入れて手紙を書くことは、この後の私の生涯にもめったにあるまいと思われるくらいです。
私は私の、悩みの多かったけれど、それをくぐってしだいに一つの恵まれた静けさに向かって成長してきた魂の歩みの記録として、これらの手紙に対して、愛とそして泪《なみだ》をさえ感じます。何となれば悩みはその後けっして減ぜられずしてますます重く、課せられたにもかかわらず、私の心がある恵みに向かって高められて来つつあるからです。そこには私の醜さと拙なさとが痕《あと》つけられてあるとはいえ、私はそれをあまり恥ずかしいとは思いません。
私は、先月二十六日にはあなたを心待ちしていましたが、御都合でいらっしゃいませんでしたね。その後あなたはおさわりなくおそらく「親和力」の翻訳にいそしんでいられることと思います。その書物は私が心をひかれ、そしてまだ得読まずにいるものですから、あなたの忠実な翻訳によって読むことができるのを楽しみにして待っています。私は「父の心配」という現代もののドラマを書いています。毎日寝床で。仕事と読書と祈祷と音楽とで暮らしています。先日お絹さんの母が亡くなりまして、今朝納骨式に地三をつれて里へ帰りました。今日はたいへんな嵐で海が荒れています。
今晩この手紙を書く前にムーンライト・ソナタや、葬送曲をききました。不思議なことに巻頭にあるベートーヴェンの写真が君にたいへんよく似ています。私の「俊寛」を読んで下さったかしら。方々からいろいろ言ってきましたが、そのなかで長与善郎君が永久的なクラシックだといってほめてくれたのが一番私をよろこばせました。機があったら読んで下さい。お絹さんはたぶん十日ばかり留守になるだろうと思います。
それから「紡ぎ車のグレートヘン」のテキストがわかればついでの時に教えて下さればたいへんよろこびます。私は次から次へと仕事の計画に満ちています。もし私の健康さえ保たれるならば、今年は仕事の収穫の非常に豊かな年となるだろうと思っています。私の「俊寛」を「出家とその弟子」を上演した創作劇場が上演したいといってきましたが断わるつもりです。今の仕事を仕上げたら「イダイケ夫人」というインドの材料で長いドラマにとりかかるつもりです。では御大切に。いずれまた。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 二月十日。明石より)
モデル問題
お手紙拝見しました。「文壇への批難」の中の聖フランシスについての一節は、僕は君を目安にして書いたのではありませんが、君の名誉のために断然省略するか書き替えるかして、君に迷惑のかからぬようにしますから安心して下さい。歌わぬ人については、今の君の非文壇的な仕事とシュテルングからいっても人が誤解することは少なかろうと思います。機会あるごとに僕が取消しましょう。君に迷惑をかけてすまなく思います。先日の君のお手紙にあった、僕の君への手紙の整理については、僕は君がそれほどまでに僕の手紙を大切に保存していて下さっただけでも実に感謝します。君のそういう方面の性質は真実に尊いものだと思います。あのゲーテなどが持っていた、そしてそれは親和力の一部にものっていると思いますが、君に独特な一つの本能となっているほどなよい性質と思います。僕などはどうしてそういう性質が乏しいのだろうかと思います。恋人の手紙さえも失ってしまったことを恥じます。一つは病身で手がないのといろいろな心を打つような出来事にたびたび遭遇してきたので、そういう尊い思い出であっても、直接に重要でないものは省みていることができなかったからではありますが、しかし僕の徳の欠けているということはあらそえない気がします。僕には蔵書ができず、また学者になれないのもそういう性質の欠乏が累《るい》をなしていると思います。大庭君なども君のそういう性質をほめていました。
しかしあの手紙を多くの人々にみせることは私は好みません。あるいは僕がこの世を去ったあとでそれが公けにされて、たとえばゲーテとシルレルとの書信の往復のごとき、文献の一つとして後に伝わるというようなことはふさわしい気がしますが、僕がなお生きているうちにそれがいくらか公けな性質を、たとい出版されるものでなくても、持つことは好ましくない気がします。ことにあの手紙のなかには、僕のプライベートな、したがって親しきものへのほかは
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