うては、あせります。弓矢取るもののふに比べれば、ペンを執るものの文運を神々に祈りたくなります。
江馬さんが、私のを読んでくれたのと、佐藤氏に話してくれたのについて私がありがたがっているとおっしゃって下さい。私もいつか、江馬さんと親しくなるだろうと思っています。あなたの手紙にしばしば出る奥さんもいい人のようですね。
まだ書きたいことはたくさんありますが、夜がふけますから、またこの次に残します。今夜は霜をあざむくようないい月夜で、海をへだてて島山が凍るように冷たくかたまって黒く見えます。私はひとりで外套を着て海べを歩きました。乾草の堆や小舎《こや》などある畑の側の広場に立って、淋しい月あかりの海を見て立ちました。舟がかりをしている漁師の船窓にはあかりがこもっていました。この寒く透き通る空は脅かすような威厳の感じを持っていますね。長く見てはいられなくなります。さようなら。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 一月七日)
病重くなり、常臥時代始まる
私はまた不幸に襲われました。私は病気にかかって入院しました。私はあなたに長い長いお手紙をあげたいのですが、熱があってどうしても根気がありません。どうぞもっとよくなるまでゆるして下さい。私は読むことと書くこととを禁じられているのですから。何もかもこらえるほかはありません。
あなたもからだを大切にして勉強して下さい。私はあなたがたを悲しく、なつかしく思います。なにとぞ熱が下ってくれればいいがと祈っています。世界が暗く暗く心に映ります。新年とともに幸福を待ったのはそらだのみでした。どうぞ大切にして下さい。あなたはからだは丈夫でも、他に魂の不幸を負わされていらっしゃる。私はそれを忘れたことはありません。何といいましょう。忍べということもいい古しました。祈りに倦みそうな誘惑さえ感じられます。でも祈るよりほかに術《すべ》はありませんね。もっとよくなったら手紙をかきます。今はかなしみに打ちかたれています。
広島市木挽町中村病院に入院しました。昨日の夕方に。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 中村病院より)
久保正夫氏宛
あなたはさぞ私のことを心配して、私の手紙を待っていて下さることと思います。私も手紙がかきたいのですが、この五日ほどすこしですけれども血が出たあとの安静を命じられているのと、根気がないのとでほんの容態しか通知できないことを赦《ゆる》して下さい。
一時は実に不安な気持ちでしたが、止血の注射で、血もきれいに止まりそれとともに熱も平熱になって今日で三日ほど無熱です。この調子でゆけばほどなく恢復するだろうと思いますが、熱が一月以上続いたのでずいぶん衰弱しています。しかし医者は大丈夫恢復するというてくれますから安心して下さい。
二月も今日ぎりで、人は春を待つ楽しい心地を感じる時候となりましたが、私は一つの部屋にたれこめてわびしい気がいたします。読み書きできないので心のやりかたがありません。屏風《びょうぶ》や、襖《ふすま》の絵模様など見るともなしにみています。悲しみにもなれた淋しい気持ちです。あなたの学業や仕事のよい実りを祈ります。東京ならあなたにも見舞いに来てもらえるのにこちらは友だちがひとりもありません。
江馬君のうちで楽しい集まりがよくあるのですね。あなたのお手紙でその様子を想像されて私も嬉しくおもいました。私は健康の不安を非常に増しました。仕事が健康にさわるということは実につらいことです。江馬君は貧しいために時間がなく、私は病気のために時間があっても仕事ができないのです。どちらが不幸でしょう。どちらもつらいことです。しかし私は覚悟をきめて仕事をする気です。私の「出家とその弟子」は、「生命の川」へ出すと七月頃までかかるので岩波からひとまとめに出すことにしました。「生命の川」へはほかのを出します。
お大切にして下さい。もすこし恢復すれば長い自筆の手紙を書きます。待って下さい。あなたの愛をこの頃はしみじみ感じます。
あわれなる二十日鼠
お手紙ありがとうございました。この頃は春らしくなりお天気つづきで東京もたのしそうになったことでしょう。私は今朝本当に久しぶりに二分間ほど干棚に出て街《まち》の上にかかる青空と遠い山脈の断片とを偸《ぬす》み見ましたが、もう春が地上に完全に支配しているのを見て驚いたほどでした。あなたはミルトンについての論文で忙しいのですね。やはり身を入れて丁寧にお仕上げなさるようにお勧めします。学校時代の終わる時の記念ですからね。私はだんだんと健康を恢復してゆきますから、悦んで下さい。安静にして何もしないでいれば熱も出なくなりました。しかし少し何かするとすぐに少し発熱するので、やはり読み書きも許されず無聊《ぶりょう》に苦しみます。しかしあせらずに養生しています。私の気質として物事を不足に不幸にばかり考える悪い癖があるので、このような場合には生きがたい気がします。私はひとりの友もなく、まったく淋しいので四、五日前から二十日鼠を三疋飼っています。よく車を廻します。少しの米を食って何の不足もなさそうに遊戯して暮らしています。時々小さな声を立てて鳴きます。私は寝床に横になって、そのさまを見ています。これだけが私の一日のなぐさみです。あわれんで下さい。私の心はどうしても不幸の意識から自由になることができません。やはり死に脅やかされるのが一番原因になっています。血の出る時の本能的な不安は実にいやなものです。私は死に身を任せる覚悟のできていない生活はたしかなものではないと思いだしました。そして人間の幸福はやはり安息にあると思います。エピクロスなどの考えたのもそのような気持ちだったのであろうと思います。さまざまの悲哀や心配のたえ間のない人生の終わりに来る死、それを relief のように、迎えることはできないものでしょうか、私は故郷の父のことなど思うと、そうであってほしいとせつに思います。私は墓場の彼方に平和を希《のぞ》む生活を一番いいような気がします。やはりこの世は仮りの宿というようなテンポラルな気がします。トルストイやナポレオンは今どうしてるだろう。夏目さんや魚住さんは? と思うと私は変な、淋しい気がしてなりません。今から百年たてば私らのうちひとりも生きてる人間はいないのですね。そのくせこの世は私たちに強い強い愛著を持たせるのですね。私は長生きができないのがなさけなくてなりません。そして死ぬる時の肉体的苦痛が今から気にかかります。私の初子《ういご》が十日以内に生まれるはずです。私はじっさい何と思ってこの子の誕生を迎えていいか自分にわかりません。不思議というほかはありません。生まれた赤ん坊を見たら急にかわゆくなるのでしょうか。みなかわゆいと申しますから、私もそうなるのでしょう。男子ならば地三、女子ならば桑子と名をつけようと、お絹さんと相談しました。いまだ孵《かえ》らぬ卵をかぞえるような愚かなことですけれど。天香さんがはるばる私を見舞いに来て下さるそうで、もったいなく思っています。私は四月中旬まで病院にいなくてはなりますまい、私の書物が出るのは五月初旬でしょう。まだ自分で書くと手が慄えて少し無理です。
[#地から2字上げ](久保謙氏宛 三月十八日夜。中村病院より)
久保正夫氏宛
しばらく御無沙汰しました。実は昨日の朝男の子が生まれました。私は興奮してそわそわしています。男の子で、よく肥って元気そうな男らしい顔をしています。母親も達者ですから悦んで下さい。名は地三とつけました。赤ん坊の泣き声を隣室できくとすぐ父の愛が湧きました。それまでは何の感じもなく、ただ産婦の呻吟《しんぎん》するのを不安に感じて、うろうろしていましたが、不思議なものですね。私はこの愛すべきものを保護してやろうと思いました、そして長生きがしたくなります。私の健康を大切にせねばならぬと思います。
先日謙さんに手紙をかいたら後で熱が少し出ました。それで長い手紙をかくのを恐れています。お絹さんが寝ているので代筆してくれるものがなくなりました。読書もまた禁じられています。春の動いていることを物干場に出てわずかに知っています。そこから街《まち》の上にかかる青空と遠い山脈の一端とを見ます。
私はまことに貧しい生活をしています。江馬君の書物は喜んで頂きます。やがて私のも同君にあげたく思います。[#地から2字上げ](三月二十三日)
久保正夫氏宛
ながらく御無沙汰となりましてまことにすみませんでしたがどうぞお許し下さいませ。
先日は脚本を頂戴いたしましてありがとうございました。早々お礼を申し上げねばならぬと心にかかりながら、どうも病気がよくありませんので、そのほうに手をとられまして手紙かくことができませんでした。
この頃もやはり三十八度八分の熱は午後に出ますので困っております。それに食欲がだんだん減退しますので、心細くていけません。江馬様にお礼が申し上げたいのでございますが、今どうしてもしみじみとした手紙が書けません。どうぞこの場合何もかもお許し下さいますように、あなたからよろしくお伝え下さいませ。みな様へすまないと思う心にせめられています。どうぞ許して下さいませ。少しく快くなりましてからお手紙がかきたいとばかり思っています。
日増しに暑くなりますからお体お大切に暮らして下さい。もう近いうちに「出家とその弟子」の本ができますから、そしたらあなたと江馬様に送りますから読んで下さい。
[#地から2字上げ](中村病院より)
墓場にこそ幸福はあれ
ずいぶん御無沙汰いたしました。あなたはこの頃はどうして暮らしていらっしゃいますか、相変わらず熱心に勉強していらっしゃることと思います。何か書いていられますか、暑さがさわりはいたしませんか。
私はこの頃は大分心よくなりましたから喜んで下さい。けれどまだ読み書きも歩行もできません。しかし危険な時期を通過した、やや安らかな気持ちです。苦しみも悲しみも忍び受ける、淋しい心地はいよいよたしかに私の基調となってゆきます。その地に立ってしかも世界のさまざまの Irrungen を眺め、しかし冷やかに傍観するのではなく、それを人間の分として、淋しく受けとるような気持ちで見ている姿です。私はやはり心の静けさ、というものが、一番尊い幸福であるように思います。そして死は永久安息を私たちに与えてくれるのではありますまいか。
私は死のねがい、あこがれ、というような気持ちがしだしました。墓場こそ私たちのもとめている本当の幸福があるのではありますまいか。私は自分の墓を生きているうちに建てその墓もりとなっているような気持ちで、これから後の生涯――それは必ずながくありますまい――を過ごすつもりです。常に死を待つ心地で。そして健康が許すなればそのような気持ちで芸術の仕事にたずさわりたいと思います。
この世の希望はことごとく私から去りました。しかし私はもうそれを悲しみますまい。昔から人生の無情から深き知恵に達した、聖者たちの淋しき道を分けゆこうと思います。どうぞ私に変わらぬ静かな愛を終わりの日まで送って下さい。
今日はやっと表記だけ私が書くことができました。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 中村病院より)
[#改ページ]
大正八年(一九一九)
久保正夫氏宛
先日は久々で、お目にかかってうれしく思いました。
私は二十三日の夕方当地に参りました。ここは淡路島のすぐ前に横たわっている浜辺で、眼の下を船がたくさん通ります。単調ではありますが、海のない京都に住んでいられる貴兄には、一日のリフレッシュメントになるかと思います。
まだ、引き越したばかりで、取り乱れていますけれど、いらして下されば、喜びます。熱は少しありますけれど、用心深く話せば、さわるようなことはあるまいと思います。いろいろ書きたいことがあるのですが、おちつきませぬからお目にかかった時にゆずります。あまりくどくいう事はかえって貴兄の心に適わないかと思いますので
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