ブルでまた合理的だと存じます。やがてそのような時が来ることを望みます。
 私のために、私のものをのせる雑誌を世話してみて下さるそうでありがたく存じます。無理にできなくてもいいのです。できれば悦びますけれど、艶子にはあなたのおっしゃるごとく習作のために努力させましょう。本人もそういって出すのを控えているのです。謙さんのお手紙にどこかに発表してみないかといってあったものですから、ちょっとその気になりかけただけです。「臆病にされた女」はたぶん庄原から送るでしょう。そういっていましたから。あの子も普通の結婚のできかねる悲劇的な性格を持っていますので、将来の運命を心配しています。しかし心配すれば限りがありませんから一日一日を勤勉に正しく送らせるほかはありません。私と二人で、艶子が炊事を受け持って家持ちをして東京で暮らせばいいのですが、費用を父が出してくれません。労働してお金を儲けるかいしょはなし、艶子も困っているようです。
 私は社会的に無力を感じます。あなたの境遇に私がもしいたら、とてもあなただけの仕事と勉強とをつづける力はあるまいと思います。あなたはほんとに力づよくすべてのものを失わないで運命を拓いてお進みなされます。そこには鍛錬せられたる能力があります。その能力のあなたの地位を安固なものにするのに大いに役立つことと存じます。あなたはしっかりした心丈夫な気がします。
 謙さんなどもやがて社会のなかの自分について一つの困難に遭遇《そうぐう》せられることと存じます。学校の教師なども一つの労働として許される仕事だろうと思います。
 あなたなどもそのようなことも考えなくてはならなくなるでしょうね。学校の教師という地位はほんとに労働ですから、創作などするに要する精力と時間とを削がれるでしょうし、だんだん苦しくなってゆきますね。しかし口を糊するための労働のない生活はけっして健全なものではありませんね。そのような生活から生まれる芸術が、芸術家という一つのプロフェッショナルな地位からの産出でなく、真の人間(そこらにいる農夫や商人などのような)としての芸術ですね。
 私はどうしてお金を得たらいいのでしょうか。自らの額に汗してパンを得るには実に 〔ungu:nstig〕 な位置にいます。教師をするには学歴なく、翻訳をするには語学の力なく、創作をして原稿料を得るには名がなく、また精力がありません。私は一か月に原稿用紙に五百枚より多くはどれほど努力しても書けそうにありません。
 庄原にいらした時のあなたの精力に比して、四分の一くらいしかエネルギーがありません。ですから「出家とその弟子」を六幕書いたのでも私はずいぶん努力がいりました。少し長くつづけて書いてるとすぐにからだにさわります。昔から病身でずいぶんたくさんな作をした人があります。よほど忍耐と勤勉とを要したであろうと察せられます。
 私は今アヤスを読んでいます。フィロクテテスの時もそうでしたが、自分の呪わしき境遇を天地の名によって呻き訴えるところなどにほんとに底のある力を示していると思います。私は「人類の愛」という喜劇を描いています。「生命の川」は廃刊するのかもしれません。二月号を出すという通知もまだ来ないようなことですから。
 私は語る友もなく侘しい新年を迎えて、あなたがたの東京での集いを少しお羨《うらや》ましく思っています。いずれ手紙は出しますが、みな様によろしく伝えて下さい。江馬さんが新年の雑誌にかいたものなど見せてもらって下さいませんか。ではいずれまた、たのしくお正月を送って下さい。少しは遊戯などもして正月らしくお暮らしなさい。さようなら。
[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 一月一日。丹那より)

   春知らぬ従妹への同情

 あなたの一月三日出のお手紙を読んで私はあなたの細々とした御親切に深く動かされました。あれを読んでいると、あなたが心から私を愛しそして憐れんでいて下さることがよく現われています。そして私は、私の作の発表の便宜がたとえ与えられなかったにせよ、私はその愛で十分だという気がしきりにしました。
 私は私の心があせっていたのを感じました。そしてそれは私のような地位にいるものには無理はないとはいえ、純粋な芸術的衝動を濁すものと思いました。
 あなたは「青年」や「母たちと子たち」や、短篇集や、すぐれたものを幾つも発表する機会をまだえないで忍んでいられるのに、私はなぜ作品を公けにすることを急ぐのか? そのような機会があってもなくても、創作活動はそれとは独立に起こるのではないか。私は黙っていい作を創ろうという気が強く動きました。そして私は愛と祈りと仕事との生活を今までのとおりに忍びをもって続けてゆけばいい、その必然の道筋で私の仕事が民のものになるだろうとは思いました。その時私はすぐに、私のひとりの小さな従妹《いとこ》が私のなぐさめを待ちわびているのを思い出しました。そしてあなたの手紙で濡らされた心で、すぐにその従妹をなぐさめてやろうと思いました。そしてすぐ車で(私は腰の神経痛で歩行がたいへん不自由になっていますので)従妹の家に行きました。車の上で私は、あなたが、正月の元日を、謙さんや江馬君やその奥さんと、たのしく往来して暮らされたのを思って心から幸福に感じました。
 あなたにはそのような類《たぐい》の幸福がこれまで恵まれることがあまりに少なかったように思われましたので、江馬君の宅で遅くまで話し込んで泊ったりなさったのですね。
 あわれな病める十八になるせむしの処女は、私を見て気の毒なほど喜びました。足がまがって歩くことがむずかしいのに塀にすがって迎えに出ました。玄関までいそいそとして、脊髄病で嫁入りできない不具者なのです。いつか病院からこの娘について、手紙に書いたと記憶していますが、その家で炬燵《こたつ》を囲んで、その娘の父母、その兄や妹たちと花合わせなどして夜になるまで遊びました。父、母は物質的な人なのに、その娘は病身なせいかもののあわれを早く知って、精神的ないい性質を持っているのです。眉の濃い大きな大きな眼を持ったいい子なのですが、体はまだ十四、五の子供くらいしか発育していないので、畸形的《きけいてき》なみじめな印象を見る人の心に感ぜしめます。この子は来客――それは親戚の人でも――があると、その醜い姿を見つけられまいために、すぐに自分の部屋ににげ込みます。父母がそうしろと命じてあるのです。初めは私にもそうしていたのです。けれど私の愛が勝って、彼女は私のものになりました。私にだけ何でも話します。私が行くと実に悦びます。私は小説をかしてやったり、たびたび手紙をかきます。いつもはひとりで裁縫などしています。昨日も夜に入ったので私が暇ごいをすると、泣くようにして私に泊ってくれよと嘆願しました。私はまけてしまって、叔父、叔母に対しては気がねでも、その子のために泊りました。今朝私としばらく二人きりになった時、その子は大きな大きな眼にいっぱい涙をためて、自分のはかなさを訴えました。私はできる限りの愛の雄弁で彼女をなぐさめ励ましました。そして暖かい日に、彼女を丹那の私の家に連れて来てやるという堅い約束をして、やっと別れて帰りました。
 その時お絹さんが、私にかぜを引かすまいためにとて、無理に持たせてよこした懐炉に、灰に火をつけて彼女が、ハンカチに包んで、私の懐に入れてくれました。私は帰り道に俥《くるま》の上で思いました。私はこのようにして多くの人たちの愛の守りのなかにいるのだ。両親、艶子、お絹さん、その従妹、そして東京にはあなたや謙さん、天香さん、私は生きる価がある、それを感謝しなくてはならない。そして純な希望のみで仕事をしてゆこう。それが文壇的になることはしいては求めまい、いわんやそのために心を煩わされるのは卑しい――そんなことを考えつつ、今は葉が落ちつくして裸になった、櫨《はぜ》の木のたくさん両側に並んでいる堤の上を俥で帰りました。
 わずかに芽の出た麦畑の間を通って、海べの砂州に海苔《のり》の乾してある、丹那の村の入り口の橋のそばまで来ると、私の家の飼犬のイチという子犬が、私の姿を見つけて跳ね廻って悦び、吠え、尾をふり、俥の前に立って、私の家の門まで走りました。お絹さんは私の帰りを待ちわびていてくれました。そしてあなたの手紙が来ていることを私は聞きました。
 私は今日はつくづく愛の幸福、私の身の廻りをつつむ温かな人のなさけを感じました。私はどうして人に愛されるのだろうと思って、ありがたい気がしました。そして不純な欲望さえ起こさなければ、私はしあわせを感ずることができるのに、貪欲になるからいけないのだと思います。
 あなたの四日付のお手紙も読みました。私のためにいろいろと心配して下さってありがたく思います。あなたの親切をしみじみと感じます。労働と報酬との独立については、私も全くあなたと同じ意見です。
 天香さんのもつまり同じ意見で、人は愛し労働する。パンはそれとは別に神様が保証して下さる。労働できない境遇の者は、たとえば病者、幼児などは神様に養われて生きるのである。健康なものも愛のために働き、その報いとしてではなく、パンを神様からいただく。そして「なくてはならぬもの」で生きる時、平和が地上に保たれるという意見です。私なども怠惰でなく、贅沢ではないならば、金を他人から、(今では父母ですが)神の名によってもらって生きるのは許される生活だろうと思います。ただそのもらっている金が、他人の労苦より出ずるものゆえ気の毒なのです。つまり「なくてならぬもの」だけは費やして許されるのですね。今の私は、節倹をしつつ、養生し、許される限り仕事をし、愛を実行するほかはないのですね。またそれが最もいいことなのですね。
 あなたの勧めて下さるように私は「若き罪」に力を注ごうと思います。私は今ユーゲントと別れを告げようとしています。そのはなむけにこの作をかきます。私は実に愛すべきしかし間違いの多い青年期を過ごしました。私は涙をもって、そして愛のねぎらいをもって、私の青年期を葬ります。私は「若い罪」には熱い熱い愛を感じて書くことができます。また後悔の苦しみをもって、しかし、それは、その償いとして私の後の生涯が展《ひら》かれています。私の今持っている多くの尊きものは、ほとんどみな私の青年期の私に与えた贈り物ばかりです。
 私はあなたが私の「若き罪」に期待して下さることを実に感謝します。私は今から毎日毎日この作に力をそそぎます。そしてまったく文壇的成心をはなれて、純粋な愛で、私のユーゲントを葬るためにのみかきます。たぶんそこには、私のユーゲントも、他の人々のと同じような、珍しからぬ材料、恋が中心になるでしょう。しかしそのようなことは顧慮せずに私のユーゲントを描きます。あなたが、その一部分を知っていて下さるところの私の青年期には、それはそれはずいぶん愛すべき、また愚かなところが数知れずあります。それを私は今まであなたに語ったことはありませんが、この作であなたに語ることになります。千ページぐらいの予定で、四月末までには完成するつもりです。
 私は景色の描き方がへたなので、小説はむずかしいと思ってドラマの形を選んだのです。受難者のようなふうにかくのなら、私にでも小説は描けそうです。あなたや、謙さんのを読んで、とても景色などあんなには描けないと思って、気がひけているのです。しかし私はまったく私の流に描きましょう。人々でその形は変わるのが本当ですから。
 謙さんや内山君も卒業したら、作をするようになるでしょうし、あなたのはだんだん発表されてゆくし、あなたのおっしゃるように、私たちの仕事はいきいきとしてきますね。
 今年はみなの上に実りの豊かな年であってくれよかしと祈りたくなります。あなたのレーウィンのエゴイスムスというのを読みたく思います。いつか「人生論の倫理学」を創り上げなさることを希望します。実に大きな仕事です。おそらく大分後になることと思いますが。
 仕事は多くして時間は短いという気がします。ことに私は健康のことを思
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