ぬように祈ります。天香さんは秋田から、平常の天香さんとも思えぬような淋しい悲しい手紙を下さいました。あなたに行き違うた残念さも漏してありました。私はあなたのために祈ります。大切にして下さい。御無沙汰を堪忍して下さい。私は今心の力を集めるために祈り求めています。私は心身の内外に多事になりました。考えねばならぬことがいくらも切迫し、それがまた一つも考えがまとまりそうなのはありません。私は来春は父になるのです。
 私が強くおちついていっさいの混雑を整理し、病気に打ち克ち、真実の道に深入りする結果に、この困難を通過できるよう祈って下さい。私は今暗いところにいますから。
[#地から2字上げ](久保謙氏宛 庄原より)

   迫り来る現実の中に

 私はまだすっきりとしない病後の衰えのなかに生きています。しかし熱は退きましたから危機はひとまず通過しました。喜んで下さい。まだ寝床は敷いてありますけれど、私は晴れた午後には散歩もいたします。今度の発熱で病気は進んだらしいのです。医者はまじめな顔をして私はもはや読み書きを断念して、花を植えたり、動物を飼ったりして暮らさなくては危ないと警告しました。私はこの頃健康のことを非常に気にかけています。昨年頃まで平気で散歩していた同病者が今年になって相次いで死んだのを見たり、私の二人の姉の同じ病気でのこの夏の死を目撃した私は、私のからだのことを気にせずにはいられません。私は不安になります。私には死の用意もなく肉体的苦痛に対する覚悟もありません。まだ死にたくありません。今に散歩もできなくなりはしまいかと思うとなさけなくなります。だれに訴えたとていたし方はありません。自分で苦しむほかはありません。私はこの健康の怖れのために大分心を圧しつけられています。私に取っては存在を脅かされる重要なことなのですからやむをえません。このような精神的内容のない要件で心を占められるのはつまらないとは思っても、私は毎日その不安から離れることができません。私は養生をしようと思ってもさまざまの事情がそれを妨げるのでできません。
 私の家には複雑な問題が起こっているのです。私の家にはかなり多額の負債があるのです。父は私にそれを隠していたのです。その整理をしなくてはなりません。それから養子(姉の夫)の今後の方針について紛糾があって、それはいやな現実的な利害問題のゴタゴタのなかに私も入り込まねばなりません。それが実に忌まわしい事情になっているのです。私はどれほど心を傷つけられたかわかりません。しかもまだ解決できないのです。それからお絹さんの問題がまたすこぶるいやな事情になっているのです。私は人間の醜さはどれほどまでか私などの思っているようなものではないと感じました。私は知恵がありません。悪魔を見破る力がありません。そのような事情のなかに、私は来春は父にならねばならないのです。このことがまた私を非常に悩まします。私はさまざまなことを道徳的に考えるとほとんど頭が支えきれなくなりそうです。私は後悔や、憤怒や、怨恨や、自責や、そのような呪わしき感情の連鎖の内に私の拙なき運命を嘆息しています。地上の醜悪と窮乏に打たれて天を仰ぐばかりです。今のところでは私の考えは少しも具体的にまとまりません。ただ私はそれらのゴタゴタの向こうに涼しき世界を喘《あえ》ぎ求めています。その世界にいこいの場所をつくらねばならぬと感じているだけです。どうしてよいのかわかりません。私が病身でさえなければと幾度思うかしれません。すべての徹底した解決はみな私に経済的独立を必要とさせます。
 しかし私にはそのかいしょがありません。私はそのために姑息になってしまいます。死ぬれば死んでもよいと覚悟すればできましょうが、私はその気になれません。からだのことが気になります。じきに病気がひどくなりそうです。それに来春からできる子供のことも気になりますので、私は父母にたよることになります。するとそこから姑息な罪悪が続出するのです。天香さんは私の一家をあげて道場にせよと勧められます。しかしそれは菩提心のない父母や家族に強いるべき性質のものではなくて、私ひとりで初めなければならぬことです。しかしこれも私の病気のためにとてもできそうにありません。
 ことに私を最も深く悩ますのはお絹さんと私との関係です。私が病気になったのもほとんどその心配からです。どうも父母との間、私との間、妹との間、親戚との間がことごとくうまくゆきません。それにはさまざまな事情が各自にあるのです。だれも無理はないともいえるし、だれも悪いともいえます。私は私を責めています。私の知恵と徳の足りなかったのを悔いています。私は忍耐します。何も許します。私の過失の結果をにないます。
 そのようなしだいで私は祝福されていません。苦しんでいます。ますます人生は私に淋しく、つらきものになりそうです。私は心のうちに寺を建てることを急がなくてはなりません。私はあなたにも実にすみません。私はわがままで身勝手をいたします。私はそれをよく承知しています。許して下さい。私は人を、おのれをむなしくして愛するにはあまりに貪婪《どんらん》で、執着心が強過ぎます。自分のことばかり考えています。そのくせ他人の愛を求めてその薄いのを怨むのです。
 あなたは人並みでない、独自な心の生活をしだいに深くしてゆかれるように私には見えます。そして他人にはうかがわれないような、知力や意力の非凡な人のみ持つことのできるような世界を魂のうちにつくってそこに棲むようにおなりなさるのではありますまいか。それは淋しいものでしょう。山の中の湖水のような、他から何とかいって浅く、普通な見識で裁くことはできますまい。あなたの世界も淋しい、不幸な、人に毀《こぼ》たれないようなものを望んでいられるように見えます。私も心のなかに寺を建てたいのです。人の批評に超越した安息の場所を。それは不幸な苦しいものに打ち克つ魂の力によってのみ成立するものでありましょう。私もなにとぞほかの境遇とはかけ離れたような、深い魂の境涯に入りたく思います。今のところではまるでほかのもので支配されています。財産が少ないといっては驚き病気が進んだといっては嘆き、惨めなものです。自分のつまらなさにあきれます。では今夜はこれで失礼いたします。乱れた手紙ばかり書いてすみません。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 庄原より)

   瀬戸内海の漁村に「出家とその弟子」を執筆す

 かなり長い間手紙らしい手紙もあげずに失礼しました。あなたの日光からのハガキと今度のお手紙とを私は広島で見ました。実は私はあの後健康がおもしろくなくて、広島に診察を受けに来ました。医者は今が大切な時期であることを警めて、私にこの冬期を温かい海辺で過ごすように勧めました。で私は四、五日前にここに来ました。ここは広島湾の東南部にある小さな漁村です。温《あたた》かくて静かです。私はとある裕福な農家の二階を間借りをして、お絹さんと二人で暮らしています。ここに移ってからは私の病気は大分よいようです。晴れた日には広い畑に出てなれぬ仕事、稲こぎや麦蒔《むぎま》きなどの手伝いなどもできるくらいになりましたから、あまり心配しないで下さい。
 あなたのこの頃のお手紙は、真実が輝いて、私は厳粛な気持ちで読み、まじめに注意をひかれてきました。あなたの著しい特殊な性格は前から私は認めていたのですが、この頃ますますその光が出てきだしたような気がして、それに向き合う私の心持ちは緊張します。私は何よりもあなたを一種の深い優れた性格として承認せざるをえません。それがどのようにして神と民との持物になるかは私にはまだ知るよしはありませんが、私はその行くべきところまで成長を遂げることを心から希んでいます。私もあなたの性格と私のとの相違を感じます。あなたの強い、冷たい、すぐれた知力と意力とは私をある意味で圧迫します。高山の霊を呼吸し、淋しい孤独のたましいを、森や湖と通わす超人のような感じがします。ただ願わくばあなたの特長を生かしきって下さい。そこに必ず普遍性が現われて、万人と和らぐ道が通じることを信じます。あなたに Herz が欠けているとのお言葉に私は深く響きました。普通の意味ではそのとおりでしょう。私はそれも認めます。そしてその自認からあなたの運命が輝かされて、大きな 〔u:bermenschlich〕 な Herz が創《つく》り出されるのではないかと思います。
 私はあなたの将来の運命に非常に関心しています。好奇心からではなく、温かい人間的な愛をもって。何でも自分の本来の霊境にいたるまで自分になりきることだと思います。あなたが芸術家でないというのは私にはわかりません。あなたはりっぱな芸術家としての素質と運命を持っていられると信じます。あなたの不幸な性格――私流の見方から――深い冷たさと魂の孤独の奥には詩人としてのすぐれたリズムが響いているではありませんか。そこから一つの Religion さえも生み出されること、私は予感せられます。なにしろいろいろの Verwanderung は免れますまいが、あなたは哲学者でなくて芸術家だと思います。あなたの芸術のために祈ります。というよりも、あなたの芸術に生かされつつ深まさり行くところのあなたの魂のために祈ります。その魂は私のそれと同じく神のたくみで創られて、ひとつの神の属性を成し、異なりたる音色をもって共に天のシンフォニイに参ずるものと信じます。違った特色を発揮しましょう。そして互いにそれを認めて尊敬しましょう。そこに真の友情が成立するであろうと思います。私はあなたがあなたの作品にあなたの特色を発揮せられることをせつに希望します。六号雑誌に出るあなたのエッセイはぜひ拝見したく思います。私はあなたのヤコボネの評伝を読んで、あなたは評伝としても、中沢氏や廚川氏らよりはるかに深い、人間の心のなかの歩みを伝える才能を持った記者であると思いました。しかしあなたの真の仕事は創作にあるのはいうまでもありますまい。私はあなたが力を芸術に注がれることを望みます。
 私は生命の川の十一月号から「出家とその弟子」という五幕の脚本を連載します。私の処女作ですから読んで下さい。私のは一種のセンチメンタリズムです。いわば存在的感傷主義とでもいうようなものです。「愛と知恵との言葉」はできるだけ哲学を用いずに、心から心に語りたいと心がけて書いているのです。文章のスタイルなどもあれで気にしてあるのです。私はエピクテタスやトマス・ア・ケンピスなどのように天の感じを文章の味に泌み出させようと努めました。しかしセレスチアルな感じは今の私ではどうしても出て来ません。争われぬものだと思います。徳を積むほかはありません。江馬さんの「受難者」は読みました。私とリズムの合いそうな人のように思いました。
 私はこの漁村で病気を養いつつ仕事をしています。これからは脚本や小説を書こうと思っています。「歌わぬ人」という脚本を書きました。「愛らしい鬼」というのをこれから書こうと思っています。「出家とその弟子」は正月号かあるいは二月号で終わりますからその後で、「若き罪」という長篇小説をのせようと思っています。
 今夜はいい月が出ています。私の宿はずいぶん淋しくて、遠くの方を通る汽車の音より物音は聞こえません。私は窓の下でこの手紙を書き、お絹さんは私の衣物を縫うてくれています。私とお絹さんとは赦《ゆる》しの上に成り立つ平和の中に日を送っています。私はお絹さんの色香にも、性質にも満足してはいません。時々ずいぶん淋しくなります。しかし何事も縁と思って仲よく暮らしています。私は「出家とその弟子」の二幕目にお寺で僧たちと同行衆とがしみじみ話すところを描きましたが、そこで私は縁の話をさせました。親鸞が「たとい気に入らぬ夫婦でも縁があれば一生別れることはできないのだ。墓場に行けば何もかもわかるのではあるまいか。そして別れずに一生連れ添うたことを互いに幸福に思うだろう」というと、弟子の一人が「愛してよかった。赦してよかった
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