動機としています。ゆえにその感動はいつでも動機にならない、エステーティスムスです。私たちにもし一の「願」が起こったといいうる時には、その願は食欲(形式からいえば)のごとく、常住なむしろ非感動的なものでなければなりません。願がそのようになった時に、初めて aneignen された確実なものといえると思います。かかる願は常に動機になります。天香師は時々愛の問題など話している時にあくびをします。私は初めは不愉快で天香師の真実を疑いましたが、後にはむしろ愛が天香師の日常茶飯事(ある意味)で、別にその時限りの感動を生じないほど aneignen されていることを悟りました、日夜働けば肉体は疲れてあくびも出ます。しかもあくびをつきつき愛の実行をしています。私たちと愛につきて語っている時は、天香師にとってはもっとものんきな時ですもの。(私たちには一番愛の起こっている時なのに)私たちは感動すべき出来事を待っています。その出来事は多くは他人の不幸なのに。天香師は感動すべき出来事のなくなることを祈っています。私たちのは享楽で天香師のは祈祷《きとう》です。
私もしだいに、「本物」と「偽物」とを弁別する眼が明らかになってくるのを悦びます。「偽物」を相手にするのはたいぎになります。そして「本物」にだけ動かされたいと思います。私は天香師のそばにいたおかげで、自分の心の願が今どのくらいなものかを知り、その姿を明瞭に見るようになりました。そして今は天香師をナハフォルゲンできる心でないことを知りました。私は私の心の実ある要求に従って動きましょう。魂の意志(変な言葉ですけれど)で動きましょう。あるがままの器量で、分相応な表現をしましょう。その器量の太った時にのみ私の表現を大きくしましょう。
私は今そのような努力をいたしつつあります。アイテルな私の性格にはかかる努力は欠くべからざるものと存じます。
あなたの労働には深く同情いたします。私はあなたの精力と勤労とを思うと、怠慢を責められます。私があなたならとてもかなわないような時でも、あなたは強く境遇に支配せられずに仕事を選んでゆかれます。私はあなたを全くプロミッシングに期待しています。
なにとぞ自重して下さい。[#地から2字上げ](五月二十五日。京都より)
忍耐することによって所有する
お手紙うれしく読みました。あなたの家の不祥な出来事のためにあなたは何ぼうにか心を暗くせられ、また便利のお悪いこととお察しいたします。この休暇中も東京にとどまって勤労の生活をお続けなさることにお定めの由、尊いこととは申しながら味気ない心地がせられることでしょう。お察し申します。けれどあなたの勤労は必ず報いられることを信じます。私は私があなたの境遇にいたら、持ちこたえる精神の力を失って、あなたの十が一の仕事もできはしまいと思います。まことにあなたの努力は感服いたします。私はあなたのことを思っては、私の怠慢な生活が心に咎められてもっと出精せねばならないと励まされます。
あなたのいわるる「忍耐することによってそのものを所有する」という思想は、真実な深い意味があると思います。ひとつのことを経験することと、その経験を aneignen することとは別のことですね。私たちに、ひとつの思想が真に自分をつくる要素となるまでには、私たちはいかに忍耐と謙遜とをもって、その思想を実行しなければならないことでしょう。「新しい思想を知る」というような言葉を聞くと、私は不思議な気さえいたします。思想は知られるものではなくて、行ないながら、持たるるもの、身読せらるるものと存じます。あなたのいわれた「確実性」が「真実性」となりうるまでは自分のものとはいえませんね。
あなたは謙さんのためにもお働きなされます由、私は実に悦びます。たとい結果がそれだけの運びにならなくても、そうするだけでどんなに美しいことか知れません。労働は必ず祝福せられます。私はあなたを祝します。あなたが御家庭でどんなふうにして暮らしていらっしゃるかは、およそ察せられて私は涙ぐみます。私は高い高いところからあなたにひどい裁きは下しません。
あなたくらいにできれば、比較的にいえばほめるに価します。ただあなたのような人には、高いところから裁かるるに堪うる魂の力があると信じるものですから、いつも行なわれそうにもない理想からあなたを責めるようにも思われる態度でもののいい方をしているのです。私は人間の現実の心の動き方を知っています。そしてあなたに同情しています。どうぞあなたのその勤労の生活を常に純な愛の動機の上に建たしめるように、心を浄めることを忘れて下さいますな。
あなたは私よりもずっとウングュンスチッヒな家庭で、常に忍耐していらっしゃいました。そしてその間でそれだけの知恵と徳とを積んでこられたのは、あなたの魂の力の非凡であったためと思います。私はあなたが後にいい家庭の主となられて、かつて得られなかったところのドメスチックの愛と睦びと、ゆったりした幸福を得られることを心から願います。
私はあなたにこそ幸福な結婚がさせたいと思います。あなたの幼ない甥たちも、母なき淋しさと不自由から、暗い影響を受けて、深いすぐれた人となるまでは、その不幸に打ち克つためにどんなにか悲しみを味わうことでしょう。父なくして耐えてこられたあなたにはその感じがいっそう強いことでしょう。私の宅にももし姉に不祥なことが起これば、母なき、おそらくは両親なき孤児ができるわけです。私はその女の児を、私の児のように愛し、そしてその不幸によって、かえって深い人生の味をさとるように育ててやろうと思います。
親のした過《あやま》ちが幼ないものの未来を支配し、その幼ないものの繰り返す過ちの種となるということは実に恐るべきことですね。罪の怖ろしいのは、他の罪の原因になることですね。艶子はすでに出発という朝、父の音信が来てしばらく帰らないことになりました。私は腸と痔とがまた悪くなったのでまことに困っています。病気には忍びなれてはいるものの、どうして私にこんなにしつこく試みが来るのであろうかと、弱くなる時は怨めしくもあります。あなたもからだを大切にして下さい。無理をして働きなさるな。
艶子は炊事をなれない手でしています。妹のような性質の女には、炊事はよほど無意味な気がするらしいです。そのように詩を読むことのみ特別に尊いことのように考える癖は私がつけた過ちでした。私は妹に兄妹二人を養うことがいかに実なる値ある、仕事であるかを教えています。時々は妹と暮らしていることを堪えがたい苦痛と感ずるようなこともあります。愛と犠牲とに教えならされない妹は私の心を傷つけます。私はつくづくとこれまで私が妹にしみ込ませた空華なものの憧れと、実なるものの軽蔑との、むなしい教訓を後悔いたします。ここでも私は私の過失の報いを受けねばなりません。時々私は私の妹のエステーティスムスの前に、茶碗を持ち襤褸《ぼろ》を着て乞食として立って見せたい気がします。そして私は妹と私との共同生活の近き破産を予想いたします。
私はもはや私の生活の基礎をギリシア主義の上に置くことはできません。私は妹の持っているアイテルなものに反抗しなければなりません。私は妹を深く愛しています。それゆえにこの後は妹にもっときつくなろうと決心しました。甘やかすことは弱くむなしくさせるばかりですからね。私は一度は妹とも強い劇《はげ》しい関係に立たねばならない時を予感いたします。
昨日、突然、本田さんが私の宅に訪ねて来ました。結婚の話はよしてしまったのだそうです。
しばらく一燈園にいるつもりだそうです。本田さんにはアイテルなところがありませんから、一燈園の生活には適当と思って私も賛成いたしました。
私はこの頃いつも内から何か促されているようなおちつかぬ心地で暮らしています。どうにかしなければならないという気がしじゅうしています。今の暮らし方、父に働かせて、読書と散歩とをしているだけの生活がどうも心にしっくりいたしません。そうしてるうちにほかの人々との交わりと調和させねばならず、私の生活は何の特色もない、軽いものに押し流されて行くようでなりません。読書したり散歩したり、芝居やカフェや活動写真を見たり(誘われれば断われないので)して日を暮らしている生活がフリボラスな気がしてなりません。暮らし方からどうにか革《あらた》めて行かねばならないと思っています。
私は、周囲と自分との関係をはっきりさせなくては、破産しそうです。refuse することは、refuse して、今後はフリボラスなことはやめようと思います。それというのも怠慢な暮らし方をしているために、人が遠慮しないのでしょう。天香さんのようにして暮らしていれば、だれもその生活を軽い遊びで乱そうとあえてするものはありません。
今日はつまらないことばかり書きましたね。あなたは出精して労働して下さい。はたらくということはいつでも祝福せられます。私は「母たちと子たち」を四綴だけ読み終わりました。艶子の話では、まだ二綴あったそうですが、中外日報社からは四綴しか来ません、どうしたのでしょう、一応お伺いいたします。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 六月十一日。京都より)
久保正夫氏宛
昨日国許から電報が来て、私たち兄妹は今日午後出発して帰国の途につくこととなりました。家のうちの暗いありさまが心に浮かびます。しかし私は何もかも起こり来るものには勇ましく相対します。姉は赤児を残して逝くでしょう。そして後に複雑な問題が生ずることも予期しています。あなたのこの夏のお暮らし向きも察せられて同情いたします。人生はどこへ行ってもイヴィルがまとわっていますね。私が今日別れた人々のなかにはもはや二度とは会えそうにない人々もかなりあります。ともかく私は別れて帰らなくてはなりません。あなたの「母たちと子たち」についての私の感想は、帰国後書き送ります。今は心せわしくてその暇を持ちませんから。
秋からは東京に行かれるようにする気でいます。妹の写真はとる暇がありませんから、前のを焼き増して送るようにして置きました。では今日はこれで失礼。「母たちと子たち」の原稿のいたんでいるのは、中外日報社から来た時にそうだったのですから、そのおつもりであしからず思召して下さい。[#地から2字上げ](二十二日。京都より)
死にゆく姉
無事御帰省なされ日々|障《さわ》りなくお暮らしなされます由、安堵いたします。なにとぞ私の家を訪れたような不祥があなたの家庭に起こらぬように祈ります。私は京都を出立してよりさまざまな不幸にあいました。尾道に夜遅く着くと思いもよらぬ姉の重患にてちょうど担架にのせられて出養生《でようじょう》するところでした。私はこの姉の病気のことは全く知らなかったので驚きました。そして叔父に容体をたずねると「この夏を過ごすのはむずかしい」と医者がいうのだそうです。叔母は私たちを見ると泣きだしました。その時私は叔父から国許の祖母もまた重患にてとても助かる見込みのないことをききました。私は恐ろしいような、何かの罰のような悲しみと恐れとを感じないではいられませんでした。尾道の姉は私の姉妹のなかでも最も美しく情深く私はひそかに誇りにしているほどなのにもしも亡くなったらどうしましょう。しかも私たちは国許の姉の病篤く尾道にて姉をいたわる暇もない身でした。翌日尾道を出発したところ、広島への途中汽車中にて妹ともはげしい腹痛が起こり広島に着いた時は吐瀉《としゃ》はげしくやむをえず広島の親戚に三日間苦しい、いらだたしい日を送りました。広島を出発して帰る途中は水害にて線路がこわれ兄妹は病後の疲れた足で二里も徒歩せねばなりませんでした。ために時間は遅れ雨風ははげしく三次に着いた時には日も暮れてやむなくその夜は旅館にあかしました。兄妹は宿屋の淋しい燈火のそばに悲しみと疲れに黙して雨風の音を聞きつつ「今夜の嵐で橋が落ちて帰れなくならねばよいが」などと心配なことを考えていました。
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