私は、私らしい、淋しい共棲生活をいたしましょう。あなたのお優しいアドヴァイスは嬉しく心に納めました。私たちは、淋しい、睦じい暮らし方をし、愛と赦しと労いとを博《ひろ》く、あまねく、隣人に及ぼしてゆく気ですから悦んで下さい。
私たちはどうせ、東京に参ります。しばらく京都で暮らします。お絹さんは東京のような、華《はな》やかな都に行くのは、はれがましく、私の友人に会うのは自分の卑しさが気にかかり、また東京は美しい女の多いところゆえ、私の醜さが眼に立つから行きたくありませんというので困っています。
艶子にも東京に出るように勧めてもらっていますが、あなたも今度京都にいらして、東京に行く気になるように勧めてやって下さい。正夫さんの結婚問題は、私はどうもまだ熟していない気がして、賛成できません。正夫さんには、くれぐれも慎重な熟慮を持たるるようにお願いしておきました。それでは、今日はこれで、筆をおきます。では大切になさいませ。たぶんお目にかかれることと思っています。[#地から2字上げ](久保謙氏宛 四月六日。京都より)
美的態度と愛の実践との接着になやむ
あなたは私があまりに長らく便りを怠りましたから、さだめしお心淋しく思っていて下さったことと存じます。ほんとにあなたから四、五度もお便りをいただいておきながら、黙っていてすまないことをいたしました。どうぞお許し下さい。その間にもあなたのお宅の不祥な出来事の成行きはどうなりましたか。母なき後の小児たちのありさまや、それを世話なさるあなたの母君、またそれを悲憐の眼で見つつその間にも仕事に出精せられるあなたのお姿を想像するとまことに悲しみも、涙とならぬほどの深刻な苦しさを察せられます。またあなたの手紙はあなたの性格の抜きがたき欠陥に対する嘆きとたたかいを伝えてきましたが、私は、そのようなたたかいは、いかに根の深い惨憺たる性質を帯びるものであるかを知っているだけに、私は少しもあなたをそれらの欠陥について責め裁く気はせず、ただ深く御同情いたします。性格上のたたかいは、しばしば、神の恵みと強い忍耐深い祈りのないときには、古来の偉人たちにおいても絶望に終わるほかはなかったほど fatal なもののごとくに見えます。私などはいつもゾルレン癖から、かつては他人を責め裁く心の烈しかったものです。しかし今は人間の天賦の性格のよほど運命的なものであることを知ってきましたから、むしろそのたたかいに同情いたします。佐野文夫君などはそのたたかいのために非常に悩んでいました。そして私の知ってる限りではそのたたかいにまだ成功してはいませんでした。私はただその苦闘を祈りによって、たえず続けてゆける人を尊敬いたします。私などがいうべき限りではありませんけれど、あなたの認められるあなた御自身の欠点は私もたしかに認めています。
さまざまな尊き内容を持つ言葉や文字が、十分に実践的な意志を伴なわずに表現せられるときには、それのエフェクトはインテンシチーの足りないものとなって受け取られます。読む人は軽く、受け流してしまいます。博識の人たちに多い欠点と思われます。上田、森、姉崎博士たちからは、私たちの生命、こころ、の糧《かて》は与えられぬように思います。ほんとうは、聖者たち、あなたの好んで訳さるるフランシスのごとき実行家からばかりまことの深い感動は与えられますね。そしてフランシスのごときものを物語的な心持ちで読むほどの冒涜《ぼうとく》は少ないと思います。一杯の水を隣人に乞う心と、カフェで紅茶を飲む心持ちとはまるで似ていないのに、私たちは紅茶の後でフランシスを語りつつ弄びます。そのようなところに私たちの一番大きな、直接な間違いがあるようですね。キリストや、釈迦や、親鸞聖人などの托鉢の生活を思い、またその生活をそのままに、今なお乞食のごとくに暮らしている天香師などのそばに行くときに、私はいつもはげしく私の仮虚の愛を指示されて苦しみます。しかも私はまだ天香師をそのままにナハフォルゲンできない心のありさまにありながら、私のすぐそばにかかる愛と犠牲の行者《ぎょうじゃ》を持っているのはどのように不安だか知れません。
私は少なくとも天香師の前では愛を口にすることだけはさし控えます。「私は少しも愛してはいません」というほうがどれほど安らかか知れません。そして世のなかの、ことに文壇の愛の論者たちが皮肉にさえ感じられます。私は天香師のそばをしばしば逃げ出したくなります。しかもその真実な性格にひきつけられてそれもできません。私は、謙さんにも話したことですが、今心の生活が行きつまっています。どちらにも進まれないような境涯《きょうがい》に座して苦しんでいます。自分のなかのむなしいものや、甘えるものや、また自分の発心《ほっしん》や動機などに根在する不純な趣味的要素(妙な言葉ですけれど)に眼がつくほど、新しい生活に対して二の足を踏みます。真の祈りの心持ちは隙間《すきま》のない実践的意志から必然に分泌せられるべきものなのに、私たちには、その実践的意志が、まじめになっていません。したがって真実に祈ったことはありません。それゆえに神の姿は私たちの眼には封じられています。
昨日も天香師から宗教は趣味ではないといって、宗教的空気を享楽し、あるいは眺め、究《きわ》めるような態度を難ぜられるのを聞いている時に、私ははげしい叱責を受けているごとくに苦痛を感じました。そしてただ畏れ入って退きました。
謙さんがはるばる訪ねて来て下さって十日間一緒に暮らす間にも、話題はいつもその愛の問題と私たちの態度の気まぐれを省みて、互いに恥じるところに落ちて来ました。時としては二人とも自らの「光の子」と認めて遠い完成の希みに微笑したり、また時としては救われがたきいたずらもののごとくにのみ思われて、悲しくなりました。私は十日の間にも、時々私のわがままから重たいムードになって謙さんも、渋い顔を見せたこともあり、叔父《おじ》、叔母《おば》の見物の案内や、またある先輩の用事の手伝いなどして、謙さんのもてなしができなかったこともあり、そのようにして謙さんを七条に送った時には、すまないとばかり思っていましたのに、東京からの謙さんのお手紙を見れば、私の想像しないような、感謝の情にみちているので、もったいないように感じました。ことに天香さんは謙さんに深い強い印象を与えたらしく、内山君の手紙とともに昨日天香さんは私に謙さんの手紙や歌を見せて悦び、たのもしく思ってかつ感謝して栄えを神様に帰していられました。近々上京せられる時には謙さんや内山君にも会って話したいといっていられました。
この前のあなたのお手紙にあらわれていたあなたの心の態度もうなずかれます。あなたは今は天香さんにお会いなさらなくてもよろしかろうと思われます。もっと先で機縁の熟した時に、会いたい気の起こった時にお会いなされませ。
私たちを徳へと駆る原動の力は、私たちの心の内に働く、罪や、刑罰や、羞恥《しゅうち》や、後悔や、すべて道徳的の苦痛の感じ――それは享楽と観照のできない直接な意識――です。そのほかにいかほど博く知ったり集めたり研《きわ》めたりしても、推進する力にはならないと思います。
あなたの「母たちと子たち」はこれから拝見いたします。そしてあなたのおおせに従い、私も遠慮せずに、読了後の感想を送ることにいたしましょう。「完全の鏡」は先日読み終わりました。直ちにお送り返しいたそうと存じましたが、こちらにひとり私の親しくなった画家の方に読みたいという方があるのですが、もし今ただちに必要でなくば、もう少しの間拝借できませんか、それとも入用ならばただちに御返送いたします。ただひとりの隣人をでも真に神の名によって愛することがかかる書を読んだものの努めと思います。あなたの勤労のおかげで私はこのようなありがたい書物を読むことができて深く感謝いたします。あなたの考証の深くして博いことは註や序などを見てもわかります。姉崎さんのいわれたごとくに日本のほかの何びとよりも委しく確かにフランシスを研究していられるように私にも感ぜられます。「この書を写すものは祝福さるべし」とあったように、あなたの勤労は確かに酬いられることと信じます。私もあなたのことを思うときに病身ながらも、けっして怠惰になるまいと励み心地になります。
私はあなたにまた不幸な便りをしなくてはならないことを悲しみます。私の庄原にいる姉が、先月二十三日に分娩して以来産後の日だちが悪しく、かねて肺が悪かったので衰弱はなはだしく一昨日突然父より電報が来てお絹さんは急に庄原に帰りました。看護になれているお絹さんに姉を世話してもらうために。父の手紙によればとうてい回復の見込みなしとのことです。私たちも近日のうちに庄原に帰るようになるかもしれません。今は形勢を見て待っています。艶子はなれない炊事をして私を養っていてくれます。庄原から凶報が来はしまいかと不安でなりません。私は今はひたすらに姉の本復を祈っています。私はどのようなことが起こっても耐え忍びます。もし姉が亡くなれば、私の一身上にも大きな変化が来ることは免れません。しかし今はそのようなことをおもんぱかるときではなく一心に姉の本復を祈っています。
艶子はいつ出発せねばならぬかもしれないのでおちつかず、また炊事になれないので心せわしく手紙をかかないからあなたにくれぐれもよろしくとのことでした。
あなたの御家庭にもどうぞこのうえの凶事が訪れませんように。南無阿弥陀仏。
[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 五月十三日。京都鹿ヶ谷より)
なんじは主なりや
この頃のあなたのお手紙は輝きと潤いと喜びで私の心をたたきます。あなたはこの頃心の歩みが深まりいきいきとしているのを感じていらるるらしくあなたの手紙にそれがあらわれています。
私はあなたを祝します。そしてあなたのその成長が京都への旅に機縁を持っているようにおもわれるときに私は私の気持ちがつぐなわれるように感ぜられてまことに嬉しく存じます。
私はあなたを七条に送った夜にはあなたをひとりぼちであったという気がしてまことにすまないと思っていました。十日の御滞在中あなたをほったらかした時も多く、私の気むずかしさはしばしばいろいろなことで渋い表情をあなたに見せました。なにとぞ私を許して下さい。それにあなたのお手紙は不相応な感謝の情にあふれています。私はあなたの寛大な、人を裁かぬ、明るいお心でなかったならば、私をもの足りなくさえ感じられてもいたし方はないと思っています。神は不思議な仕方にあなたを恵まれました。私はあなたから輝かしい、力ある証をきくことができました。私ははげまされました。あなたはまっすぐに博く深く成長してゆかれる方のように思われます。
天香さんはあなたと内山君とのお手紙を読まれてたいへん悦び感謝なさいました。またかかるまじめにして有為なる人々の味方のできることを頼もしく感じると申されました。
天香さんは多分二十日頃に上京なさいます。あなた方にも会って話したいといっていられます。それについて天香さんが私におっしゃったことがございますから参考のために申し上げましょう。
天香さんはあなた方お二人の手紙を私に見せた後で「この人たちはからだが悪いのかね」と問われました。「いいえ丈夫です。どうしてそんなことをおっしゃいます」と私は伺いました。
「どことなしに感情が弱々しいからからだでも悪いのかと思った」
「そのようなところもありますね。しかしこの人たちは今は砕かれた心持ちにいて自らの弱さを重荷に感じている心のありさまでこの手紙を書いたのではありますまいか」
「それもそうだな、けれどただ優しく美しいだけでは悪の勢力に打ち克つことができないからな、強者の残した屑のなかでわずかに他のものを害さぬようにして生きてゆくことになる。それでは悪強いものをひざまずかすことができぬ。今の世界はギリギリまで切迫した問題にみちている。私たちは力と権威を持たねばならぬ」
「そうです、しかしこの人た
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