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個々のまことなる心の要求を絶対化しようとし、そして生命を調和ある一つの全体としようとするねがいから、私には多元の苦しみがいつも生じます。そして私の生活を調和ある静けさに保ちがたくなります。たとえば愛は真理であることをエルレーベンして、そしていかにして愛に程度を付することができましょう。これだけの程度に愛すれば足りると考えることは私にはできません。ことにキリストや釈迦《しゃか》のような先人を持っている私は、与えらるるものを持ちながら与えずにいるのをシュルドとして感ぜずにはいられません。そしてそれは私のほかの要求を容れないことが多いのです。そして私は私のすることをジャスティファイすることはほとんど一つの行為にもできがたくなります。それは私の動機ばかりについての考えですけれど、私の行為の生む結果まで考えれば私はイグノランスを恐れて何もできません。そして私はこの頃は一つの行為をするときには常にこう思います。「私のすることはよいこととは信じません。賢いこととはなおさら信じません。けれど私はこのことで間違わないにしても、ほかのことで間違わないというのではありませんから、このことをさしていただ
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