せらずに養生しています。私の気質として物事を不足に不幸にばかり考える悪い癖があるので、このような場合には生きがたい気がします。私はひとりの友もなく、まったく淋しいので四、五日前から二十日鼠を三疋飼っています。よく車を廻します。少しの米を食って何の不足もなさそうに遊戯して暮らしています。時々小さな声を立てて鳴きます。私は寝床に横になって、そのさまを見ています。これだけが私の一日のなぐさみです。あわれんで下さい。私の心はどうしても不幸の意識から自由になることができません。やはり死に脅やかされるのが一番原因になっています。血の出る時の本能的な不安は実にいやなものです。私は死に身を任せる覚悟のできていない生活はたしかなものではないと思いだしました。そして人間の幸福はやはり安息にあると思います。エピクロスなどの考えたのもそのような気持ちだったのであろうと思います。さまざまの悲哀や心配のたえ間のない人生の終わりに来る死、それを relief のように、迎えることはできないものでしょうか、私は故郷の父のことなど思うと、そうであってほしいとせつに思います。私は墓場の彼方に平和を希《のぞ》む生活を一番い
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