は別れの挨拶を残して、林の下みちを子供をあやしつつかえって行きました。私は後を見送って立ちつくしました。私はあわれな気がして、この子を私の子にして愛してやろうと思いました。
 私は読みかきすることのほかに、この頃はあわれな、卑しい仕事をしている年増《としま》の女のところに三味線にあわして歌うことをならいに通っています。
 艶子はからだがやや弱く、音戸という内海に臨んだ浜辺に海水浴に行くはずになっています。お絹さんは母を輔《たす》けてよく働いています。
 私はあるいは九月から千家元麿という人の「善の生命」という雑誌に「愛と知恵との言葉」という題で、短いものを、毎月組曲のようにしてしばらく書くかもしれません。九月のは「他人に話しかける心持ちの根拠について」というのです。
 庄原は毎日晴れた、影のない暑さが続いています。昨夜は田舎らしい盆踊りがありました。ではいずれまた。大切になさい。[#地から2字上げ](十六日。庄原より)

   われもまた病む

 私は持病がまた発熱してこの二週間ばかり臥ています。どうも左の肺をやられたらしいのです。私は父母に気の毒でいけません。私の家のものの心は重たく
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