することができる。なぜに世界はコスモスでないかということは私たちの道徳的意識を満足させるためには、ただ私たちは悪いことをしたからだと思うよりほかに道はないように感じます。ストリンドベルヒは It is a crime to be happy and therefor happiness must be hastized. といっています。地上の幸福というものは望みうべからざるものであるのみならず罪深き人間には不合理なものではありますまいか。神の法則は一度人間を罰しなくてはならない、その後ろに、むしろそのなかに救済はあるのでありましょう。
私は姉の死から深い感銘を受けました。私たちもじきに死ぬのです。なつかしいかの世界の民となるために、この世では一つずつ負担を果たさせてもらわねばなりません。ああわれらモータル! あるいは今年の夏には他の二つの不祥に遭遇《そうぐう》せねばならぬかもしれません。私は葬式後|初七日《しょなのか》の喪のあけぬまの、〔fune`bre〕 な空気のなかでこの手紙を書きました。私自身は淋しく強く生きます。人生はどのような畏ろしいことが起こるかわからないのですから、い
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