父親のごとき境遇にあって、愛児の苦痛を目睹《もくと》しつつ、いかにして人生を感謝することができましょうか。しかも人生は美であり、調和であり、感謝であると信ずることのできる宗教的境地――それを私は憧《あこが》れ求めます。死力を尽くして生き切る時に、運命を呼びさまして、真の神のヘルプを受けることができるのでしょう。私はまだまだ絶望してはなりません。
今日は手術のことが心配で、気をおちつけて手紙を書くことができません。不安と恐怖とたたかわねばなりません。手術後はまた動かれなくなり、当分しみじみと手紙もかかれますまい、またしんぼうせねばなりません。ああいつまでもいつまでも人生を愛して倦《う》みますまい!
私の妹があなたを訪問するかもしれません。その時はなにとぞ私のことを思い出して話して下さい。今日はこれにて筆をおきます。[#地から2字上げ](久保謙氏宛 一月十六日。広島病院より)
ドストエフスキーの感化の中にあって、祈りと人間同志の従属感にぬれていたころ
私は今朝《けさ》最近に私の周囲に起こった事件のために悲しく、淋しくされた心で寝台に仰臥しておぼつかない、カーテンを洩るる光の
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