しんと痛み、傘がないので衣は濡れ、まっくらなこの漁村に昨夜おそく着きました。
今朝も空は灰色に低く垂れて、船宿の汚ない部屋の欄干にすがって、海のどんよりした色を見ていると、淋しい淋しい気がいたします。何ともいいようのない無常を感じます。私はこの頃は西行や芭蕉などの行脚《あんぎゃ》や托鉢《たくはつ》して歩くような雲水のような心に同感します。
私は西国八十八か所を遍路して歩きたいと思いましたが止められました。天香さんは勝淳さん(一燈園の尼さん、切髪の品のいい四十歳ぐらい、天香さんと、夫婦のようにして暮らしていられます)と一緒に去年の春西国巡礼をせられました。「お遍路さん――」といって路《みち》ばたの茶屋などでも大切にしてくれるそうです。
私はこのようにぶらぶらしていてついにどうするのでしょう。明日はともかく尾道に帰ろうと存じます。そのうえでまた何とか考えをつけましょう。私は考えをまとめたいと思ってここに来たのに、来てみれば冷たいおちつかぬ心地ばかりして、アンイージーで、はやく帰りたくなりました。
艶子はこの冬休暇にお訪ねいたしましたかしら。今日は何だか悲しくて書く気がいたしません。
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