ぎました。そして六日目にお絹さんも決心して今日の午後には必ず広島に帰るといって食後二人でまた悲しいことばかり繰り返して語っているところへ、突然警察署から巡査が来ました。そして二人は福山警察署に連れて行かれました。
警察署に行ってみると、尾道から私の叔父が来ていました。あとで事情を聞けば、お絹さんは私が庄原から一燈園に行くという手紙を出してから、常に病院で悲しそうな顔ばかりして、「私は死ぬ死ぬ」と朋輩の看護婦たちにいっていたそうです。それが「ちょっと宮島に行って来る」といって病院を出たきり六日も帰って来ないので、病院のほうではほんとに死にでもするのではないかと心配して、警察に保護願いを出したものとみえます。
私たちは病院のほうで前からの関係を知られていたのでした。私たちは警察でまことに腹立たしいまた恥ずかしい目にあいました。私は叔父に連れられてその日の午後尾道に帰りました。お絹さんは巡査に守られて病院に送られました。私が警察から帰る時お絹さんは後に残って泣いていました。それから私たちは会いません。私は親戚《しんせき》ではげしく叱られました。また正直な国許の父は警察沙汰になったのをひど
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