ンセントレーションをせねばなりません。「愛と認識との出発」以来、私はあまり私の熱注的な性格を制して、多くの方向に心を向け過ぎました。かくして得られたる「静けさ」のなかには、怠慢と姑息とが芽を出しかけました。私は多くの data を隈なくならべて、それを統一することは単純化の道ではないと思い出しました。単純化は一つのエッセンス、精、法則の柱を握って、他のものをそれに依属せしむることだと思います。根本の深いものを一つつかまえねばなりません。そして私はそれを愛と運命との問題だと思います。私は文化の吸収に費やす力を少し惜しみましょう。生の歓楽を捨てて忍耐しましょう。(たとえば女の肉、快適な衣食住など)そして力を集めて私の問題に向かいましょう。それが私のアイゲントリッヒな性格なのですから。あきらめればあきらめられるものはみな捨てて、あきらめるにも、あきらめられぬものに集注しましょう。歓楽はあきらめられます。名誉も捨てられます。愛は捨てられません。今の文壇から誉を除けば、いかなる動機が残りましょうか、深い思想と濡れ輝いた個性が出ないのはもっともに思われます。弥陀《みだ》の誓願の一つに「この本願かな
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