とう存じます。
 あなたが、愛するよりも愛されたい心だとおっしゃるのは私はよくわかります。私はあまりに他人がエゴイスチッシュゆえ、もはや求めまい、訴えまい、と思ったこともしばしばあります。けれど私はこの頃は訴え求める心の尊いこと、それがなくては互いに従属できないことを感じだしました。与えられねばかなしみつつやはり求めましょう。私は今取りかかっている仕事のなかにも、「人間と人間との従属」というのを書きたいと思っています。それには愛されないことを知って、ただ与えることばかりに生きようとする不幸にしてかなしき人々に、なお求めよ、訴えよとすすめたいつもりでいます。ドストエフスキーは牢獄で頑《かた》くなな野蛮な人々から排斥された時に、軽蔑《けいべつ》と白眼とをもって孤立せずに、それを心から悲しきことに思いましたのでしたね。私は「隣人の愛」というのを一つ書きました。どうもあまりパッショネートになっていけません。そして近代のエゴイズムに対するプロテストがむらむらと生じて、はげしくなって困ります。一つ二つ書く間に静かなものが書けるかもしれません。しかしまだまだ天に属した調和のある文体にはなられず(それ
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