私は次のごとく答えました。
「もし神様の聖旨であるならば結婚しましょう。聖書にも「誓うなかれ」とあるごとく、私は約束はしません。神様は私を独身ではたらかす気かもしれないし、ほかの女を私に※[#「耒+禺」、第3水準1−90−38]《そ》わすみ心かも知れません。二人はいっさいの誓約はせずに神前に恥じぬ交際を続けて行きましょう。そしてみ旨なら結婚しましょう。」
そして私は聖フランシスと聖クララとの交わりを語り、恋のはかなきことと、他人を愛することのできぬような独占的な愛の純なものでなきこと、純粋な愛は仕事や生活の調整を乱すものでなきことを語りました。そして私のH子さんとの恋のほむべきものでなかったことを語りました。
そのうちに彼女は患家に働きに行き二週間ほどになります。そして今日の彼女の手紙を読んで私はまったく安心しました。彼女はいろいろと思い悩んだ末自分の私に対する愛の不純なことを覚り、かつ悔いました。そして恋のエゴイズムと煩悩《ぼんのう》とに気がつき、もっと聖なる愛にて私を愛する心になったとみえます。しかしそこには涙となやみと人工的な努力があきらかに見えています。私はかわゆくてなりません。私は彼女の一すじな恋の仕方を愛しました。全体に私には気に入る多くの点を備えているのです。しかし私は神を畏れ、彼女の運命を傷つけることを怖れて重々しく、大切に、彼女を損わぬように全心を傾けています。
しかしあるいは私のような病弱な者を恋せねばならぬのが彼女の一生の悲しき運命になるのではありますまいか。人間と人間との深き交わりはまったく運命ですからね。私は何事も神の聖旨を待ちます。けっして軽々しいことはしませぬから安心して下さい。それにしても私の病気はどうなるのでしょう。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 三月六日。広島県病院より)
病院よ、祝福あれ
あなたたちは私らからの便りを毎日心持ちに待っていて下さったことと思います。そしてあまり便りがないために不安にもなり、また愛より起こる軽い腹立たしさを感じなすったことと存じます。兄妹はこの一週間がほどは宿を探すために心あわただしくてしみじみと手紙を書く時を持ちませんでした。私らはその間に二度宿を移しました。そしてやっと今の宿におちつくことができました。なにとぞ私らの怠慢を許して下さいまし。
病院を出る時には物悲しい思いをいたしました。癒らないで出るかなしさを人々に慰められるのがいっそう苦しゅうございました。私は百三十幾日の間親しみたる人々に別れを乞いに行く時にはセンチメンタルになってしまいました。そして「幸福に暮らして下さいねえ」とだれにもかれにも申しました。絵を分かった肺の悪い友は非常に落胆して私と別れることを大きな幸福を失うことでもあるかのように嘆きました。いよいよ病院を出る時には玄関まで岩井の母親と嬢さん(聖書の友)や二、三の知人が送ってくれました。肺の悪い友は歩行してはいけないと私が止めるのをもきかずにしいて玄関まで出ました。蒼《あお》ざめた顔には興奮した眼が不安に光っていました。私は門を出る時振り向いてその病友の顔を見た時これが一生の別れだと思いました。門を出ると春浅き街は風がひどく吹いていました。私は「病院よ、祝福あれ」と声を立てて叫びました。そして「みんなみんなしあわせに暮らして下さい」と心のなかで涙とともに祈りました。その日から私は市内にある叔母の家で数日間暮らすことになりました。この家庭は富み栄え、そしてそれがためにかえって不幸なる多くの家庭の一つでした。私はこの家庭にあっては不幸でした。あまりに物質的なる家庭の空気は私の傷《いた》める心にふさわしくありませんでした。私は私のこの頃の他人の幸福のためにおせっかいな心から、そしてキリストの「なんじらは世の光なり、地の塩なり」といわれた言葉などを思い出して、少しく叔母に精神的に和らげられたる家庭について語りました。私は謙遜なる心持ちでいったのだけれどあまり好感情は与えませんでした。また私はお絹さんとの交際に関してきわめて不愉快な疑いをかけられているので、いっそう気まずい心地で暮らさなければなりませんでした。それで私はもっぱら、脊髄病《せきずいびょう》で幼児よりほとんど不具者となっている私の従妹《いとこ》と語り、慰めることによって日を送りました。そのようなわけで、艶子から見舞いに来るという電報を受け取った時には福音《ふくいん》のごとく喜びました。愛する妹は天使のごとく私に来たりました。そして謙さんから美しい西洋の草花の束や、正夫さんからの絵や小説やそして二通の優しき励ましとなぐさめの手紙を受取った時は、まことに幸福な思いに満たされました。私はそれらの幸福をけっして私の受くべき当然のものとは思いません。神様の恵みと感謝いたし
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