がりに来る人を待ったでしょう。お絹さん(その看護婦の名)は私に、初対面の日からよく触れました。私はその女の苦痛を経て来た半生、そしてそれにもかかわらずのんびりとした単純な、そして深い高尚な思想に感動することのできる心をめでました。お絹さんは四、五日ばかり毎日来ました。そして私の話を実に悦んできき、そして注意深き聡明な性質を示しました。それから十日ほどは働きに市内の患家に行きました。私は熱心に愛をもって不幸な病人のために働くことを勧めました。十日の後お絹さんは働きを終えて悦び勇んで私のそばに来ました。私は彼女を祝しました。それから五日ばかりまた毎日来ました。彼女は私を信じ愛しそして私の魂のなかの私の誇る(よき意味の)部分に触れてくれました。私は宗教的空気のなかに彼女を包んで愛しました。そして彼女とともに讚美歌を唱い、祈り、食事を共にしました。ああこの五、六日の間私は彼女の単純な自由な快活な心に温められ、まじめな熱い祈祷に感動させられ、どんなに久しぶりに幸福な生活を味わったでしょう。しかるに久保さん、病院の他の人々は猥《みだ》らな、卑しい眼で二人を見ました。そしていろいろな不愉快な事情の後に、お絹さんは私の室にもはや訪れられないことになってしまいました。
不幸な私の愛すべき友を私から奪って何の役に立つのでしょう。私はその事件のために悲しく傷つけられて今朝寝台の上でしおれていました。その時にあなたの小包が届きました。私は開いてあなたの自ら描かれた絵を見た時に涙ぐまずにはいられませんでした。そして優しきあなたの心を悦び神の恵みをほめました。ありがとうございました。私は絵はかけませんけれど見るのは非常に好きです。そしてあなたの芸術的天分を祝しました。少年の時描かれた白根山のスケッチやファンタスチッシュな樹下に女の横臥してる下絵など好きでした。ことに私の心に適うたのは湯本路のしぐれでした。私はしばらくの間懐かしき芸術的感動のなかにあり、そしてしあわせな思いをいたしました。私も東京に行ってあなたや謙君らと朝夕往復できたらと思いました。私はあなたの絵を肺の重いあわれな病友に、私の付添婆に持たせて見せにつかわしました。しばらく私の手元に置かして下さい。大切に保存しておきます。入用な時はいつでもお返しいたします。あなたの書かれたエッセイをなにとぞ送ってください。
私のことばかり書きましたね。あなたはあの学校に毎日寒さを冒して通学してるのですね。ソフトをかぶってマントを着て街《まち》を歩いていたあなたを思い出します。純な清らかなやさしき心を持ちたいというあなたのねがいはまた私のこの頃の最もせつなるねがいです。私はあなたのそのねがいをば正しき美しきものと信じます。そして私とゼーレの交通をなすにお互いにその境地に深く届き進むことができるようにはげましたいではありませんか。私はあなたの思って下さるほどけっして純ではありません。なにとぞ人間としての弱さ醜さ愚かさはだれにもあるものと知り、そしてそれを許して、励まして下さい。私の心にはどうしてこのように卑しい醜いものが住んでいるのだろう? 私はそれを怖ろしきことと思い、神様に祈っています。私は今朝もこう思いました、「私の心に訪るるものの中にありては祈祷の感情が一番深くなつかしいスイートなものである、よし、私は一日じゅう祈りの心持ちより遠い言行はいっさいすまい」と。そして神様に私を助けてしかせしめ給わんことを祈りました。私は神のエキジステンスなどを議論する気がないのです。私は私の祈りの心持ちの実験にたよります。そしてそのなかで神にあいます。いまや祈祷は私の最もたのしき大切なるものになりました。私は私の心の奥に聖地を築きたい。そしてそこに最後の魂の憩《いこい》場所を見いだしたいと存じます。詩篇のなかに「みよ、神の道をたのしむものの足はいかに美しきかな」という言葉がありましたが、私はその足の美しい、聖地を蹈むに堪うる人となりたい。この間もお絹さんと静かに信仰のことなど語ってる時に私はかの聖フランシスと聖クララとの聖き交際を思い出さずにはいられませんでした。そして天の甘美とたのしき団欒《だんらん》とを想望いたしました。
私には他人が私の生活内容のおもなるものとなりつつあることがたのもしく感ぜられます。私はトマスのような生活はできません、他人と交渉し他人の運命に影響しなくては生きるよすががありません。他人のなかに自己を見いだすのではなく、自己のなかに他人を生かしたい。私はあなたのこの頃のお心持ちにたいへん同感できるので嬉しくてなりません。私は深き深き意味にてソシアリチーということを重んじ出しました。なぜ世の人はかくまでにかたくなにて怨みを結びまた争うのでしょう。私は新聞を読むのが苦痛でなりません。読まねば社会に冷
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