いえぬからです。あなたの美しき期待を裏切るには似ますけれど、私と妹とは七十日余の共生の間常に、いつもは融け合ってはいませんでした。お絹さんは私にたよりせぬようになり、父母のためには私は孝行な子ではないのです。――私を恕《ゆる》して下さい。そしてその真因は私のほしきものを私が捨てないからです。それらの具体的な消息は手紙には書くにあまります。そして醜い現実的なものです。
自らのほしきものをことごとく神の祭壇に献げずには、愛の実行は終わりあるものとして完成せられないように見えます。そこにキリストの十字架はあるのでしょう。自ら一度死なずに人を愛することはできないと思われます。このような平凡なことさえ、私はしみじみとはこれまでわからずにいたのでした。私は十字架を負わずに人を愛そうとは思いますまい。けれど何よりも苦しいのは私の心の底にあるエーステチッシュな要求が十字架に釘づけられる時です。私はどうしても今私の住んでいる部屋を美しいと満足することはできません。けれど父母を愛するためには私の住場所を私の家のほかに求めてはいけません。私は私の来訪を悦ぶ二つのファミリーに、そのファミリーがエーステチッシュな空気を持っていないために、口実を作って寄らずに帰りました。そして恨まれました。
私はまた今|悶《もだ》えの底に沈んでいるひとりの妹の宅に寄るのにも、どんなにその家の貧しさから生ずるアンプレザントなことをきろうて、またひとりの叔父のかたくなな性質に触れることをいとうために妹を愛する心を鈍くしたかもしれません。そして私は冷淡な心に自ら責められました。
私たちのようにすべてのものに要求の強いものには、十字架はますます重荷になります。私は愛することの善きことを知って、愛の実行のできない人間です。私を愛の人だといわれる時、私は空恐ろしくなります。私は愛を問題としている人で、愛の人ではない。私の真相はエゴイストです。文之助君がいったとおりです。私は人と親しい交わりにはいろうとする時、このことが気になってなりません。
私はいろいろな問題から促されて宗教の方へ赴くようになります。いかにすれば世界はコスモスとなるのでしょうか。人と人との交わりはなめらかに、そして心の願いは互いに乖《そむ》かずに、音楽のように、諧和するでしょうか。これ私の一生の問題です。
私はやはり庄原でも教会に参ります。私に
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