感動されます。そしてカラマゾフなどを読んでも、裁判官の前に立つ荒くれ男のミチャが、かえって説教者としての威力を持ってるところなどに動かされます。そして私も卑しいけれど、純な高いものに憧れる心は持ってると思って悦びました。ドストエフスキーのような人から「倉田はいけない人間だ」と裁かれるならば、私はほんとに失望するだろうと思われます。私は妹からあなたの平常の暮らしぶり、話しぶり、正夫さんとの交わりぶりなぞを聞いて、まことにゆかしく感じています。そして私たちの交わりの荒々しいのを恥じます。あなたは清い優しい祝福されたる素質を持っていらっしゃるように私には見えます。なにとぞ今のようにして成長していって下さい。この頃は試験の煩わしい準備なぞで、うつうつしい時候ではあるし、暮らしにくいこととお察し申します。柔らかな緑の色の重く濃くなる頃は、最も頭の不快な気分に閉ざされるものです。あなたのいつかの妹へのお便りにも、幽鬱《ゆううつ》ななやましい気分がもられて見えました。なにとぞからだを大切にして、頭を使い過ぎないように注意して下さい。
 先日正夫さんに出した私の手紙に、私のこの心のありさまを詳しく書き、そしてその手紙はあなたにも見ていただくように申しておきましたが、私は一つの信仰の問題、また一つは性の問題のために心が安らかでありません。私はけっして証拠がなくては信じないというのではなく、旧約聖書に現われる神の意志によきものとして受け取りがたいところが多いのと、キリストの言行にまだ私の道徳的懐疑が残るために、キリスト教に対する私の信仰が動揺いたします。すなわち私は、エホバとキリストとの言行が最深の真理を含むがゆえにのみ、キリストを信じたいのですが、聖書に現わるるところでは私はまだ少ししか信ずることができません。私はヨハネが「われその栄えを見るにまことに神の子として……」といってるのに注意します。ヨハネをしてキリストを神の子と信ぜしめたのは、イエスの現わした栄でありました。私もそれに似た心持ちで、イエスの言行の最深の真理を含めるのを見てイエスを信じたい。そのほかには何の証拠も求めたいとは思いません。しかし私はまだそれを疑います。イエスの言行はまだ相対的のように思われるところがあります。ことにエホバの言行は、私にしばしば失望と懐疑とを生じさせます。私はかかる考えを起こすには、すなわち主を
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