頃はどうして暮らしていらっしゃいますか、相変わらず熱心に勉強していらっしゃることと思います。何か書いていられますか、暑さがさわりはいたしませんか。
 私はこの頃は大分心よくなりましたから喜んで下さい。けれどまだ読み書きも歩行もできません。しかし危険な時期を通過した、やや安らかな気持ちです。苦しみも悲しみも忍び受ける、淋しい心地はいよいよたしかに私の基調となってゆきます。その地に立ってしかも世界のさまざまの Irrungen を眺め、しかし冷やかに傍観するのではなく、それを人間の分として、淋しく受けとるような気持ちで見ている姿です。私はやはり心の静けさ、というものが、一番尊い幸福であるように思います。そして死は永久安息を私たちに与えてくれるのではありますまいか。
 私は死のねがい、あこがれ、というような気持ちがしだしました。墓場こそ私たちのもとめている本当の幸福があるのではありますまいか。私は自分の墓を生きているうちに建てその墓もりとなっているような気持ちで、これから後の生涯――それは必ずながくありますまい――を過ごすつもりです。常に死を待つ心地で。そして健康が許すなればそのような気持ちで芸術の仕事にたずさわりたいと思います。
 この世の希望はことごとく私から去りました。しかし私はもうそれを悲しみますまい。昔から人生の無情から深き知恵に達した、聖者たちの淋しき道を分けゆこうと思います。どうぞ私に変わらぬ静かな愛を終わりの日まで送って下さい。
 今日はやっと表記だけ私が書くことができました。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 中村病院より)
[#改ページ]

 大正八年(一九一九)


   久保正夫氏宛

 先日は久々で、お目にかかってうれしく思いました。
 私は二十三日の夕方当地に参りました。ここは淡路島のすぐ前に横たわっている浜辺で、眼の下を船がたくさん通ります。単調ではありますが、海のない京都に住んでいられる貴兄には、一日のリフレッシュメントになるかと思います。
 まだ、引き越したばかりで、取り乱れていますけれど、いらして下されば、喜びます。熱は少しありますけれど、用心深く話せば、さわるようなことはあるまいと思います。いろいろ書きたいことがあるのですが、おちつきませぬからお目にかかった時にゆずります。あまりくどくいう事はかえって貴兄の心に適わないかと思いますので
前へ 次へ
全131ページ中120ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング