ぜを引かすまいためにとて、無理に持たせてよこした懐炉に、灰に火をつけて彼女が、ハンカチに包んで、私の懐に入れてくれました。私は帰り道に俥《くるま》の上で思いました。私はこのようにして多くの人たちの愛の守りのなかにいるのだ。両親、艶子、お絹さん、その従妹、そして東京にはあなたや謙さん、天香さん、私は生きる価がある、それを感謝しなくてはならない。そして純な希望のみで仕事をしてゆこう。それが文壇的になることはしいては求めまい、いわんやそのために心を煩わされるのは卑しい――そんなことを考えつつ、今は葉が落ちつくして裸になった、櫨《はぜ》の木のたくさん両側に並んでいる堤の上を俥で帰りました。
わずかに芽の出た麦畑の間を通って、海べの砂州に海苔《のり》の乾してある、丹那の村の入り口の橋のそばまで来ると、私の家の飼犬のイチという子犬が、私の姿を見つけて跳ね廻って悦び、吠え、尾をふり、俥の前に立って、私の家の門まで走りました。お絹さんは私の帰りを待ちわびていてくれました。そしてあなたの手紙が来ていることを私は聞きました。
私は今日はつくづく愛の幸福、私の身の廻りをつつむ温かな人のなさけを感じました。私はどうして人に愛されるのだろうと思って、ありがたい気がしました。そして不純な欲望さえ起こさなければ、私はしあわせを感ずることができるのに、貪欲になるからいけないのだと思います。
あなたの四日付のお手紙も読みました。私のためにいろいろと心配して下さってありがたく思います。あなたの親切をしみじみと感じます。労働と報酬との独立については、私も全くあなたと同じ意見です。
天香さんのもつまり同じ意見で、人は愛し労働する。パンはそれとは別に神様が保証して下さる。労働できない境遇の者は、たとえば病者、幼児などは神様に養われて生きるのである。健康なものも愛のために働き、その報いとしてではなく、パンを神様からいただく。そして「なくてはならぬもの」で生きる時、平和が地上に保たれるという意見です。私なども怠惰でなく、贅沢ではないならば、金を他人から、(今では父母ですが)神の名によってもらって生きるのは許される生活だろうと思います。ただそのもらっている金が、他人の労苦より出ずるものゆえ気の毒なのです。つまり「なくてならぬもの」だけは費やして許されるのですね。今の私は、節倹をしつつ、養生し、許される限り
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