、ほかのを出せなくて困っています。江馬君にでも頼んで、どこか私の作をお金なしで、発表できるところを工夫してみて下さいませんか。ただし、気らくに、責任を持たずに考えておいて下さいというだけですよ。なければなくてもいいのです。艶子のものも、どこかお金なしで発表できるところをつくってやりたいのです。もしあなたの力で何とかなれば考えておいてやって下さいませんか。
茅ヶ崎のほうは、そんなにたびたび血が出ては実に淋しいでしょう。あなたも慰めかねなさいますでしょう。その忍受して耐えていらっしゃるのを見るのははたの人はいじらしいでしょう。私はこの頃は神経痛で腰が痛むので、不自由を感じています。どうせ病身なのですから、もうなれています。あまり案じて下さるな、私は病苦の間から仕事をする気です。
アヤスというのを私も読みましょう。私はソフォクレスはたいへん好きになりました。今日もソフォクレスの彫像の写真を出してながめました。あなたのおかげでいろいろないいものを読まれることを感謝いたします。[#地から2字上げ](久保正夫氏宛 丹那より)
[#改ページ]
大正六年(一九一七)
芸術創作とパンの問題
新しい年が来ました。今年があなたに豊かな祝福をもたらすことを祈ります。東京の松の内の賑わしさなど想像いたします。どのようにしてお過ごしなされますか。
丹那は淋しいお正月です。私たちは二人で心ばかりの祝いのお雑煮餅もいただきました。艶子が二十九日に帰ってからはたいへん淋しくなりました。
私はやはり丹那に隠遁してひそかな松の内を送るでしょう。階下の農夫の夫婦と話したり、近所の子供たちでも集めて花合わせでもしたりするでしょう。
あなたの新潮社から出されるトルストイの「人はどれだけ土地を要するか」という小話はかつておもしろく読みました。平和ということが第一なのを忘れて貪欲になってはいけないのですね。土地を耕して生きてゆくのが一番安定した健全な暮らし方なのでしょう。
あなたのお手紙にあるように、私も私のパンを父母の労苦から得ているのが気になってならないのです。けれど鍬《くわ》を持つには健康が侵され、ペンではお金を得るどころでなく、お金がかかるようなしだいで困っています。あなたのおっしゃるように、私たちが自分たちの雑誌を持ち、それを自分たちの労働で支えることができるならばフェボラ
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