に、民衆的となりやすいいいところもあると思います。一つの共存の意識が、違った表出の仕方でおのれ自らを外へと道を求めるのであろうと思います。
人生論者たらんとする、その要求を、根拠づけているところのあなたの感情を私は深く尊敬いたします。
私の脚本は、も少しで完成します。今六幕目の終わりを書いています。親鸞聖人の臨終は、一つの罪の意識が救われの意識となって、この聖者の魂が天に返るように、罪を持ちながらも、一つの調和した救済の感じの出るようにかく気でいます。ファウストのグレートヘンの「審判された」が「救われた」となるように、私も親鸞の煩悩に苦しみつつ死ぬるのを成仏《じょうぶつ》と読者に感ぜられるように描きたいと思っています。最後の幕切れは、親鸞の魂の天に返れることをあらわすために、平和な、セレスチアルな音楽で終わらせたいと思っています。
私は早世する兆《きざ》しか、もはや老年期のような調和的なものがかきたいのです。ゲーテのあるものは私の心に適います。私はゲーテの影響で、独白をたくさん使いました。私は独白は古典的な感じがして好きです。
あなたにほめてもらったので、大分自信がつきました。どうも技巧が未熟で困りますが、だんだんとじょうずになれることと思います。気のおつきになったところは、遠慮なく注意して下さい。
ここまで書いたところに、艶子が来ました。ちょっと、三次まで叔父の法事に立ち会ったついでに見舞いに来てくれたのです。蜜柑《みかん》をむきつつ話しています。あなたによろしく申してくれといいました。二、三日泊ってすぐに帰るでしょう。
私の健康はだんだん恢復してゆきますから喜んで下さい。春にはお目にかかりたく思います。私も写真をとりましたから、数日の内にお送りいたします。脚本は、艶子の「禍いの日」というのを、謙さんのところに送りましたから、見てやって下さい。前にかいた「臆病にされた女」というのをそのうちにあなたのほうに向けてお送りします。私のは、遅筆で、汚なくて、清書しなくてはだめですから、また、いつか見て下さい。すぐ原稿用紙に、きれいに得かかないのです。私は「人類の愛」という喜劇をかく気です。愛を口にして隣人の運命に不注意な文士の虚偽に対する私の鋭い批評です。
茅ヶ崎の大沢さんは実に同情します。あのような運命の下に苦しんでいる人に、なぐさめとなるには、いかにした
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