たの特色を発揮せられることをせつに希望します。六号雑誌に出るあなたのエッセイはぜひ拝見したく思います。私はあなたのヤコボネの評伝を読んで、あなたは評伝としても、中沢氏や廚川氏らよりはるかに深い、人間の心のなかの歩みを伝える才能を持った記者であると思いました。しかしあなたの真の仕事は創作にあるのはいうまでもありますまい。私はあなたが力を芸術に注がれることを望みます。
私は生命の川の十一月号から「出家とその弟子」という五幕の脚本を連載します。私の処女作ですから読んで下さい。私のは一種のセンチメンタリズムです。いわば存在的感傷主義とでもいうようなものです。「愛と知恵との言葉」はできるだけ哲学を用いずに、心から心に語りたいと心がけて書いているのです。文章のスタイルなどもあれで気にしてあるのです。私はエピクテタスやトマス・ア・ケンピスなどのように天の感じを文章の味に泌み出させようと努めました。しかしセレスチアルな感じは今の私ではどうしても出て来ません。争われぬものだと思います。徳を積むほかはありません。江馬さんの「受難者」は読みました。私とリズムの合いそうな人のように思いました。
私はこの漁村で病気を養いつつ仕事をしています。これからは脚本や小説を書こうと思っています。「歌わぬ人」という脚本を書きました。「愛らしい鬼」というのをこれから書こうと思っています。「出家とその弟子」は正月号かあるいは二月号で終わりますからその後で、「若き罪」という長篇小説をのせようと思っています。
今夜はいい月が出ています。私の宿はずいぶん淋しくて、遠くの方を通る汽車の音より物音は聞こえません。私は窓の下でこの手紙を書き、お絹さんは私の衣物を縫うてくれています。私とお絹さんとは赦《ゆる》しの上に成り立つ平和の中に日を送っています。私はお絹さんの色香にも、性質にも満足してはいません。時々ずいぶん淋しくなります。しかし何事も縁と思って仲よく暮らしています。私は「出家とその弟子」の二幕目にお寺で僧たちと同行衆とがしみじみ話すところを描きましたが、そこで私は縁の話をさせました。親鸞が「たとい気に入らぬ夫婦でも縁があれば一生別れることはできないのだ。墓場に行けば何もかもわかるのではあるまいか。そして別れずに一生連れ添うたことを互いに幸福に思うだろう」というと、弟子の一人が「愛してよかった。赦してよかった
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