は別れの挨拶を残して、林の下みちを子供をあやしつつかえって行きました。私は後を見送って立ちつくしました。私はあわれな気がして、この子を私の子にして愛してやろうと思いました。
私は読みかきすることのほかに、この頃はあわれな、卑しい仕事をしている年増《としま》の女のところに三味線にあわして歌うことをならいに通っています。
艶子はからだがやや弱く、音戸という内海に臨んだ浜辺に海水浴に行くはずになっています。お絹さんは母を輔《たす》けてよく働いています。
私はあるいは九月から千家元麿という人の「善の生命」という雑誌に「愛と知恵との言葉」という題で、短いものを、毎月組曲のようにしてしばらく書くかもしれません。九月のは「他人に話しかける心持ちの根拠について」というのです。
庄原は毎日晴れた、影のない暑さが続いています。昨夜は田舎らしい盆踊りがありました。ではいずれまた。大切になさい。[#地から2字上げ](十六日。庄原より)
われもまた病む
私は持病がまた発熱してこの二週間ばかり臥ています。どうも左の肺をやられたらしいのです。私は父母に気の毒でいけません。私の家のものの心は重たく沈んでそのうえ掻き乱れるような家事上の紛糾があります。人間の心の醜さを私は見せられました。そのために心がひどく傷つきました。この不幸つづきの喪の感じのしめやかさを損じるようないやな方面に触れました。私はいいがたきわるいふしあわせな心のありさまにあります。祈って下さい。私はたまらなくなります。私は毎度のふしあわせな私の手紙に対して、いうべき言葉はなし、でも何とか慰めてやりたく、お困りなさるあなたのお心持ちも気の毒になります。ただ祈って下さい。どうもして下さることはできないのは知っています。真実心は通います。私は永い御無沙汰をしました。その間私はさまざまの苦しみに瘠せました。物語るだけの余裕と潤いのない圧しつけられた心でいました。私は人生が呪いたくなります。祝さねばならぬというゾルレンがあればこそ心の常識を保ってはおれ、私は苦しくてたまりません。二人の姉の後を追いたくなることもあります。私の祖母も死にました。私は二つの死をまだあなたに報知していませんでしたのですね。このように数えるように並べるのはあまりに痛ましい気がします。しかし死んだのです。吉也さんも死にましたね。
あなたに不幸が訪れ
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