態に恢復いたしましたから悦んで下さい。
 昨日は、また、久しぶりに、めでたく卒業した、愛する妹が帰って来まして、七条駅まで迎えに行き、昨秋以来の、なつかしい逢瀬《おうせ》の、互いに労《ねぎら》う挨拶を交わす時にも、兄妹ともしあわせな心地につつまれました。
 私の新しい家に着くと、お絹さん――これは別府の時から、妹を渇仰してるのです――が、かいがいしく、いろいろと世話をして、荷物の世話などしてやりました。天香さんにも通知をして悦んでもらいました。これからしばらく、京都で三人暮らすことになります。私の住所は、東山の麓《ふもと》に近い、田圃《たんぼ》のなかの淋しいところにあります。父からもらう少しのお金で、三人貧しく、睦じく暮らすつもりです。お父上がお国から見えになるそうですね。その後で私のとこへもいらしていただけるかもしれない由、もし、そうできたなら、私はどれほど悦ぶか知れません。正夫さんとは昨夏をああして二十日も一緒に暮らせましたけれど、あなたとは三年夏のなかばの日に、カフェで別れたきり、お目にかからないのですものね。まことにずっと昔の、昔のことのような気がいたします。
 四月は京都のもっともたのしい季節で、祇園《ぎおん》の桜も咲き、都踊りも始まります。あなたも一度は京にお越しなされませ。天香さんにもお絹さんにもお引きあわせ申します。お絹さんを、私はあわれに、いとしくおもい、仏の眼のうるおいと赦《ゆる》しとをもって、優しく、慈《いつく》しむ気でいます。お絹さんは私を玉のように大切に、守るように世話をしてくれ、いつもよく働きます。そしてその容色や才能が私を満足させてはいないことを熟知して、心の底でいつも遠慮していることを私は知っていますから、私はお絹さんを淋しがらせぬように努めています。私の、若い、おとこ心は、時としては、若い、美しい娘さんなどを見る時、お絹さんと一生共棲することを大きな寂寞《せきばく》と感じさせることもありますけれど、そのような時には私はいつも考え直します。
 病院時代の物語りや、別府の船の別れや、福山警察署の別れや、一燈園での再会や、さまざまのことを思い出す時に、私はお絹さんをあわれにあわれに、思います。そしてできるだけ愛そうと思います。
 一緒に暮らして感ずる淋しさは、このまま振り捨てた後で私の心を責められる気がかりより、いくらましかもしれません。
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