とう存じます。
 あなたが、愛するよりも愛されたい心だとおっしゃるのは私はよくわかります。私はあまりに他人がエゴイスチッシュゆえ、もはや求めまい、訴えまい、と思ったこともしばしばあります。けれど私はこの頃は訴え求める心の尊いこと、それがなくては互いに従属できないことを感じだしました。与えられねばかなしみつつやはり求めましょう。私は今取りかかっている仕事のなかにも、「人間と人間との従属」というのを書きたいと思っています。それには愛されないことを知って、ただ与えることばかりに生きようとする不幸にしてかなしき人々に、なお求めよ、訴えよとすすめたいつもりでいます。ドストエフスキーは牢獄で頑《かた》くなな野蛮な人々から排斥された時に、軽蔑《けいべつ》と白眼とをもって孤立せずに、それを心から悲しきことに思いましたのでしたね。私は「隣人の愛」というのを一つ書きました。どうもあまりパッショネートになっていけません。そして近代のエゴイズムに対するプロテストがむらむらと生じて、はげしくなって困ります。一つ二つ書く間に静かなものが書けるかもしれません。しかしまだまだ天に属した調和のある文体にはなられず(それが私の願いですのに)さながら、たたかいのようなはげしさをなくすることができません。これは今の私には仕方のないことでしょう。私は静かな天の使のような声で語られる日のいつかは来らむことを祈ります。あるいはこのたびのものは、あなたや謙さんにはよろこばれないかもしれないと思いますが、私の性格のなかには、そして私の周囲の時代というものが、私をしていくらかチャレンジするようなはげしいところを持たしめるのでしょう。私は、けれど、あたうかぎり静かに、平らかに書きます。そして涙と訴えとをもって、心から心へと語るような、博い、潤うたものを書きたいと思います。けれどもできますかしら? 私は受け合うことはできません。あるいは中途でよすようなことになりはしまいかと思われます。私の仕事のために祈って下さい。
 謙さんの小説ができあがったら、読ましていただこうと楽しみにしています。学校の始まるのも近づきましたね。今度は学校もかわって少しは新しい気持ちもいたしましょう。
 学習院の雑誌は送りました。今日はこれで失礼いたします。お目にかかりますまでに、ふしあわせなことが、あなたにも、私にも起こりませんように。
[#地か
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