女や幼い者さえも免《のが》れることができなかったでしょう。奥方は若君と姫《ひめ》君とを伴《ともの》うて鞍馬《くらま》の奥に身をお隠《かく》しなされました。深いご恩をこうむっている数多くの郎党《ろうどう》は自分の身にとがめのかかるのを恐れて皆逃げ去ってしまいました。私一人おともをいたしご奉公申し上げましたけれども、そのご不自由さは申すもおいとしいほどでございました。絶えず敵の追手《おって》を恐れ、ことに恥と侮《あなど》りとを防ぐためにあの気高い奥方がどんなに心を苦しめられたか、あなたがこの島にご流罪《るざい》になられたと聞いてから奥方のお嘆《なげ》きははたの見る目も苦しいほどでございました。康頼殿、成経殿のご赦免《しゃめん》があってあなたのみお残りなされたと聞かれてから、奥方の悲しみはもはや私の慰《なぐさ》め申すにはあまりに深くなりました。そしてついに病の床におつきなされ種々手をつくしてご看病《かんびょう》申し上げましたけれどもそのかいなくついにお果てなされました。
俊寛 あゝあわれな妻よ。(目を閉じる。力なく)二人の子供は!
有王 そのあとを申し上げるのはあまりに苦しゅうございます。
俊寛 言ってくれ。言ってくれ。わしの心はもはや悲しみにしびれている。
有王 若君は夜も昼も父母をお慕《した》いなされ、「母上はいずくにゆかれた! 鬼界《きかい》が島とやらへ連れてゆけ。」とおむずかり遊ばしましたが、六年前の二月ごろその時はやった痘《もがさ》という病気におかかりなされついにお失《う》せなされました。
俊寛 (石のごとく硬《かた》く冷たき表情にて)ただ一人残った娘は?
有王 姫君さまはこの世をはかなみ奈良の法華寺《ほっけじ》にて尼《あま》になって、母上や若君の菩提《ぼだい》をとむろうていられましたが、去年の秋の暮れふとおゆくえがわからなくなり、手をわけて捜しましたところ。(俊寛を見る。堪《た》えかねたるごとく顔をそむけ口をつぐむ)
俊寛 言ってくれ。ひと思いに。この場におよんでもはや私に悲しみをおしんでくれな。
有王 さる谷間に姫《ひめ》君のおなきがらが見つかりました。
俊寛 (ほとんど無感覚になりたるごとくうつろなる目つきにて)無だ! すべてが、すべてが亡びていたのか、わしの氏《うじ》を根こそぎ奪《うば》ってゆくのか。
有王 気をおたしかに!
俊寛 (われにかえりたるごとく)清盛《きよもり》はどうしている? 平氏の運命は? わしに信じられないほど残酷《ざんこく》な運命が平氏をどう扱うか、わしはそれが知りたい。
有王 世は澆季《すえ》になったと思われまする。平氏はますます栄えはびこり、その荘園《しょうえん》は天下に半ばし、一族ことごとく殿上《てんじょう》に時めき「平氏にあらざるものは人にあらず」といわれております。清盛が厳島《いつくしま》に参詣《さんけい》する道を直《なお》くするために切り開かした音戸《おんど》の瀬戸《せと》で、傾く日をも呼び返したと人は申しまする。法皇は清盛の女《むすめ》の胎《はら》から生まれた皇子《おうじ》に位を譲《ゆず》られる、と聞いております。あらゆる暴虐《ぼうぎゃく》に飽《あ》いた身を宮殿をしのぐような六波羅《ろくはら》の邸宅の黄金《こがね》の床に横たえて、美姫《びき》を集めて宴楽《えんらく》にふけっております。天下は清盛の前に恐れ伏し、平氏にこびへつらい何人もあえて対抗しようとするものはありませぬ。
俊寛 成経はどうした。都《みやこ》に帰れば隙《すき》をうかがって復讐《ふくしゅう》することができるといった成経は?
有王 成経殿はこのたび宰相《さいしょう》の少将に昇《のぼ》られるといううわさでございます。平氏に刃向《はむ》かうことなどは思いもよらぬように見受けられます。
俊寛 父を清盛《きよもり》に殺された成経が! 康頼はどうしている。
有王 康頼殿は東山双林寺《ひがしやまそうりんじ》の山荘にこもって風流に身をやつしていられます。鬼界《きかい》が島での生活を材料にして宝物集《ほうぶつしゅう》という物語を世に出されるといううわさでございます。
俊寛 犬だ! 鼠《ねずみ》だ! わしは最後まで勇士として立つぞ。自分を売らぬぞ。有王船を用意しろ、船を!
有王 お心を静かに!
俊寛 ただ一矢《ひとや》を! わしの腕《うで》にまだ力があるうちに!
有王 船は急にはありませぬ、私がこの島に来ることができたのも不思議なほどでございます。赤間《あかま》の関で役人に捕《とら》えられすでに危《あやう》きところをのがれ、船頭《せんどう》をだましてようやくこの島に着くことができました。
俊寛 九州まで! いかなる手段をつくしても! 九州まで着けば身を忍《しの》ばして都に入り、時機をうかがうことができる。
有王 たとえ九州まで帰り着いて
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