したい。
俊寛 (後ろを振り向く)
有王 わしは都《みやこ》から来た者だが、(俊寛、都と聞いて驚いて有王を見る)この島に法勝寺《ほっしょうじ》の執行《しゅぎょう》俊寛|僧都《そうず》と申す方が十年前よりお渡りになっているはずだが、もしやご存じあるまいか。
俊寛 (驚きのためまっさおになる。何か言いかけてくちびるをひきつける。やがてつくづく有王を見る)有王だ! (有王に抱《だ》きつく。やがて反射的に有王を放《はな》し顔をおおう)あゝ、わしは恥ずかしい。
有王 (驚きて俊寛を見る)お前はだれだ。わしの名を知っているお前は。
俊寛 有王よ。わしだ。俊寛だ! (有王に抱きつく)
有王 (驚き、つくづくと俊寛を見る)あゝ、ご主人様だ! (俊寛を抱く)
俊寛 あゝ、わしはわしは。(慟哭《どうこく》す)
有王 おなつかしゅうございました。(愛憐《あいれん》の情に堪《た》えざるごとく)あなた様のこのお変わりようは!
俊寛 わしの姿《すがた》を見てくれい。
有王 あゝいたわしや、ご主人様。よく生きていてくださいました。どうしてこの十年をお過ごしなされました。この荒い島で、ただ一人で。(泣く)
俊寛 わしは餓鬼《がき》のように暮らしてきた。どうして生きてきたか自分にもわからない。すべては困苦と欠乏と孤独と、そして堪えられない侮辱《ぶじょく》だった。
有王 ここでお目にかかろうとは!
俊寛 夢だ! 悪い、長い夢だ。
有王 今生《こんじょう》でふたたびお目にかかれるとは。あゝありがたい。
俊寛 この変わりはてたあさましい姿《すがた》をあわれんでくれ。
有王 ご主人様、もはやご安心なさいませ、私がまいりました。あなたの手足のように忠実な有王めでございます。
俊寛 (有王を抱《だ》きすすりなく)
有王 私の心は昔と寸分《すんぶん》変わりませぬ。あなたが都《みやこ》をおたちなされてから、苦しい長い日がつづきました。あゝ長い長い日が、わたしはどんなにあなたのことをお案じ申したか、先年|鬼界《きかい》が島の流人《るにん》たちがきょうは都へ上ると聞いた時、私は夢かとよろこんで取るものもとりあえず鳥羽《とば》までまいりましたけれども、康頼殿と成経殿の輿《こし》は帰ったけれども、あなた様は一人鬼界が島に取り残りなされたと聞いた時、私は絶えいるばかりに悲しみました。それから七年の間あなたの赦免《しゃめん》のことがある日をあけくれ待ちわびていました。けれど七年がむなしく過ぎました。待ちあぐんだ末、私は堪《た》えきれなくなって人目を忍《しの》びこの島に尋《たず》ねてまいりました。せめて今生に一度だけでもお目にかかりたいと思って。
俊寛 あゝ、お前にふたたび会えようとは! はるばると来てくれたか。わしのすべての友、すべての家来がわしを見捨てたのに。この島の漁師《りょうし》さえわしをあなどり、餓鬼《がき》を恐れるようにわしを避《さ》けようとするのに。
有王 私の尊いご主人様、私はあなたのために命を惜《お》しみませぬ。幼い時からあなたに受けたご恩を思えば、私はよろこんであなたのために死にまする。
俊寛 わしは絶望のあまり幾度も幾度も死にかけた。深い海やけわしい岩かどは、絶え間なくわしを死に誘《さそ》うた。だがわしの妻子の愛着がわしを死なせなかった。この地上のどこかで妻や子が生きているのだと思えばわしは死ねなかった。しかもきっと不幸と恥辱《ちじょく》との中に。有王よ、わしは妻子の安否《あんぴ》を気づかった時、いつもお前のことを頼みにしていた。すべての家来はそむき去っても、お前だけはきっと最後まで命をかけても彼らを守ってくれると信じていた。わしに聞かせてくれ。聞かせてくれ。わしの妻はどうしていますか。
有王 (何かいいかけてやめる。あわれむごとく、俊寛の顔を見、顔をそむける)
俊寛 言ってくれ! 有王よ。わしはたいてい想像している。どんな恥な暮らしをしていてもわしはもはや驚きはしない。
有王 (苦しそうに)あゝ、私の申し上げることはもっと悪いことでございます。
俊寛 (青ざめる。心を確かに保とうとつとめつつ)わしは覚悟している。
有王 (堪《た》えかねたるごとく)西方《さいほう》におわします奥方様。ご主人様のお心をお支えくださるように!
俊寛 あゝ亡《な》くなったか。自害《じがい》したか。
有王 (思いきりたるごとく)幾たびかそれをくわだてられました。そのたびごとに私が必死になっておとどめ申さなかったら、あなたが西八条に捕《とら》われていらっしたあと、平氏の役人どもが館《やかた》に押し寄せて近親のかたがたをことごとくからめとり、連れかえって拷問《ごうもん》し、謀叛《むほん》の次第《しだい》を白状させてことごとく首をはねました。もし重盛《しげもり》が命乞《いのちご》いをしなかったら、
前へ 次へ
全27ページ中22ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング