われを忘れたるごとく)わしへの手紙は? 故郷の便りは?
基康 わしのことづかったのはこれだけだ。(俊寛、顔をおおう。家来に)出発の用意をしろ。
成経 (あわてる)待ってくれ。わしがもっとよく考えるために。
康頼 今しばらくの猶予《ゆうよ》が願いたい。
基康 あなたがたの意志はもはや確かに承《うけたまわ》ったはずだが。
成経 いや、わしはもっとよく考えて見なければならない。あなたに聞きたいこともある。
康頼 われわれがもっとよく考えて決心するために、今しばらく待っていただきたい。あなたはあまりにあわただしい。
俊寛 (不安に堪《た》えざるごとく。成経に)成経殿、わしはあなたを信じている。あなたが誓《ちか》いを守ってくださることを。
成経 (俊寛にむけてではなく)わしは考えねばならない。考えねばならない。
俊寛 康頼殿、わしはあなたの誓いを最後の頼みとしていますぞ。
康頼 わしたちはよく考えて見ましょう。今はあまりに大事な時だ。
俊寛 (天に向かって両手をのばす)神々よ、汝の名によってたてられた誓いは守られねばならぬ!
基康 わしの前で内輪《うちわ》の争いは、見るに堪《た》えぬわい。申《さる》の刻《こく》までに考えを決められい。猶予《ゆうよ》はなりませぬぞ。(退場。家来つづく)
成経 (基康の去るやいなや、飢《う》えたるもののごとく手紙の封を切りて読み入る)
康頼 (手紙を読みかけて、俊寛を見てやめる)
成経 (かたわらに人なきがごとく)なつかしい母上よ、あなたの恩愛《おんない》が身にしみまする。(今ひとつの手紙を読む)妻よ、お前の苦しみは察するにあまりある。どんなに会いたかったろう。(他の手紙を見る)乳母《うば》の六条の手紙に添《そ》えて、わしの小さな娘の手紙も入れてある。何という可憐《かれん》な筆つきだろう。六条よ、あゝおまえの忠義は倍にして報《むく》いられますぞ。(手紙を読みつづける)
俊寛 (堪《た》えかねたるごとく)わしの前でその手紙を読むのはよしてください。わしは不安で不安でたまらない。成経殿、あなたは考えを変えてはなりませぬぞ。きょうあなたが弓矢にかけてたてた誓《ちか》いを忘れてくださるな。
成経 (われに帰りたるごとく)わしはあまりに苦しい、今はわしの一生の運命の定《き》まる時だ。わしに考えさせてください。
俊寛 あなたは名誉ある武士のすえだ。あなたはい
前へ 次へ
全54ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング