つもそれを誇《ほこ》っていられた。わしはあなたの誇りに望みをかける。
成経 故郷《こきょう》の便りはわしの臓《ぞう》をかきむしるような気がする。不幸なわしの家族はどんなにわしを待っているだろう。彼らに一度会う日の夢は、わしのこの荒いみじめな生活のただ一つの命であった。今や時が来た。そしてわしは帰ってはならぬのであろうか。
俊寛 あなたの心持ちはもっともだ。だがわしのことを考えてください。あなたがたがそばにいて不幸を分けてくださったればこそ、この言いようのない苦しみにも堪《た》えることができたのだ。が、もしわし一人この島に残らねばならなかったら、わしはどうしてこの先を暮らしてゆくことができよう。それはあまりに堪えがたい。考えただけでも恐ろしい。
成経 わしはあなたのことを思わないのでは決してない。だがわしとして、わしの境遇になって、はたして故郷への迎えの船をむなしく帰すことができるだろうか。
俊寛 わしはこういう時の来ることを予感したのだ。それを思えばこそけさあれほどあなたに念を押したのだ。そしてあなたのあの心強い誓言《せいごん》を得たのだ。あなたはそれを忘れはなさるまい。
成経 (心の内に戦いながら)時機は二度と来ぬのだから。
俊寛 わしはあなたに要求する気はない。ただあなたの友情にすがって折り入って頼む。なにとぞわし一人をこの島に残さないでください。
成経 わしは一度だけ母に会いたい。妻に会ってその苦しみをねぎろうてやりたい。一生に、も一度だけわしの子供が抱《だ》きたい。
俊寛 それはみなわしの願うところだ。わしの朝夕の夢だ。今その夢を実《まこと》にすることのできるあなたの幸福と、この荒れた島にただ一人残る自分の運命とを較べるのは堪《た》えがたい。わしの恐ろしい運命を考えてください。
成経 わしはただ一度だけ故郷《こきょう》の土が踏《ふ》みたい。ただ一度だけ家族と会えばまたこの島に帰ってもよい。だがただ一度だけは。
俊寛 わしを助けてくれ。
成経 わしは苦しい。何も考えられない。わしの心は顛倒《てんとう》するようだ。
俊寛 あなたはどうしても帰る気か、誓《ちか》いを破り、わしを捨てて。
成経 (苦しそうに沈黙す)
俊寛 きょうからわしはあなたを名誉ある武士とは思いませぬぞ。困苦をともにした友に危難の迫《せま》った場合、無慈悲《むじひ》に見捨て去るとは、実に見下げた
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