に飛び出て馬車に乗った。彼らが妻を侮辱《ぶじょく》することを恐れたから。
康頼 北《きた》の方《かた》はどうされました。
成経 母は父の安否《あんぴ》ばかり心配して泣いていました。そしてなぜわしがかかる恐ろしいことを企《くわだ》てたかをかきくどきました。父はその朝院に出仕《しゅっし》する途中を捕《とら》えられたのです。
康頼 あゝ。成親殿《なりちかどの》はどうされたやら。
成経 父のことを思うのはわしの地獄《じごく》です。清盛《きよもり》は謀叛《むほん》の巨魁《きょかい》として父をもっとも憎《にく》んでいました。清盛が父を捕えていかに復讐《ふくしゅう》的に侮辱したか。わしはそれを聞いた時むしろ死を欲しました。わしは馬車の中で警固《けいご》の武士らに父の安否をききました。彼らは詳しく詳しく語りました。不必要な微細なことまで。わしをはずかしめるために。清盛は西八条の邸《やしき》で父を地べたにけり落としたそうです。その時父が冠《かんむり》をたたき落とされて、あわてて拾おうとしたことまで彼らは語りました。その時清盛がまたけったので父は鼻柱《はなばしら》が砕《くだ》けて黒血がたれた。その時清盛は二人の武士に命じて左右から父の手を捕えて地べたにねじ伏せさせ、「彼にわめかせろ」と言ったそうです。二人の侍《さむらい》はさすがに気の毒になって、小さい声で耳もとにささやいて「何とでもいいから声をたてなさい」と言った。するとおゝ何たることでしょう。父はつくり声で悲鳴をあげたそうです。清盛は大笑いして勝ち誇《ほこ》ったようにふすまをあけて出ていった。その時の父には無念の表情よりもむしろ責苦《せめく》をのがれた安堵《あんど》の色が見えた。こういうことをはたで見ていたと言って、明らかにわしをからかう意図《いと》を見せて詳しく詳しく語りました。そして彼らは父がかかる怯懦《きょうだ》なる器量《きりょう》をもって、清盛《きよもり》を倒そうともくろんだのは、全く烏滸《おこ》の沙汰であると放言しました。むろん、わしは彼らの話の細部《さいぶ》は信じなかった。しかし黙って聞いていなくてはならなかったのです。
康頼 いつもは私の車の先払《さきばら》いの声にもふるえあがった青侍《あおざむらい》が、急に征服者のように傲慢《ごうまん》な態度をもってのぞみだした。彼らと車を同じくすることだけでも堪《た》えられない恥辱
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