気がいたします。もったいないほどでございます。
僧一 私はそこに気がつきませんでした。法悦《ほうえつ》があっても、なくても、私らの心のありさまの変化にはかかわりなしに救いは確立しているのでございますね。
親鸞 それでなくては運命にこぼたれぬ確かな救いと言われません。私らの心のありさまは運命で動かされるのだからな。
僧三 やはり自らの功で助けられようとする自力根性《じりきこんじょう》が残っているのですね。すべてのものを仏様に返し奉る事は容易ではございませんね。
親鸞 何もかもお任せする素直な心になりたいものだな。
唯円 聞けば聞くだけ深い教えでございます。
親鸞 みんな助かっているのじゃ。ただそれに気がつかぬのじゃ。
僧二 (登場)皆様ここにいられましたか。今やっと説教が済みました。(興奮している)
親鸞 御苦労様でした。しばらくここでお休みなさい。
僧二 お師匠様にお願いであります。ただ今私が説教を終わりますと、講座のそばに五、六名の同行《どうぎょう》が出て参りまして、親鸞様にぜひお目にかかりたいから会われるようにとりなしてくれと頼みました。
親鸞 何か特別な用向きでもあるのですか。
僧二 往生《おうじょう》の一大事について承りたき筋あって、はるばる遠方から尋ねて参ったと申します。皆熱心|面《おもて》にあふれていました。
親鸞 往生《おうじょう》の次第ならばもはや幾度も聴聞《ちょうもん》しているはずだがな。まことに単純な事で私は別に話し加える事もありませんがな。
僧二 私もさよう申し聞かせました。ことに少し御不例ゆえまた日をかえていらしたらどうかと申しました。しかし皆はるばる参ったものゆえ、ぜひ親鸞様にお目にかからせてくれと泣かぬばかりに頼みます。あまり熱心でございますから、私も不便《ふびん》になりまして、御病気のあなたを煩《わずら》わすのは恐れ入りますが、一応お尋ね申す事にいたしました。
親鸞 それはおやすい事です。私に会いたいのならいつでもお目にかかります。ただ私はむつかしい事は知らぬとその事だけ伝えておいてください。ではここへすぐ通してください。
僧二 ありがとうございます。さぞ皆が喜ぶ事でございましょう。(退場)
僧一 遠方から参ったものと見えますな。
僧三 熱心な同行衆《どうぎょうしゅう》でございますね。
唯円 お師匠様に会いたさにはるばる京にたずねて来たのですね。私は殊勝な気がいたします。
親鸞 (黙って考えている)
僧二 (同行衆六名を案内して登場)
親鸞 (同行衆の躊躇《ちゅうちょ》しているのを見て)さあ、こちらにおいでなさい。遠慮なさるな。
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唯円、席をととのえる。同行衆皆座に着く。
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親鸞 私が親鸞です。(弟子をさして)この人たちはいつも私のそばにいる同行です。
同行一 あなたが親鸞様でございましたか。(涙ぐみ親鸞をじっと見る)
同行二 私はうれしゅうございます。一生に一度はお目にかかりたいと祈っていました。
同行三 逢坂《おうさか》の関《せき》を越えてここは京と聞いたとき私は涙がこぼれました。
同行四 ほんになかなかの思いではございませんでしたね。
同行五 長い間の願いがかない、このような本望《ほんもう》なことはございません。
同行六 私はさっき本堂で断わられるのではないかと気が気でありませんでした。
親鸞 (感動する)よくこそたずねて来てくださいました。私もうれしく思います。どちらからお越しなされました。
同行一 私どもは常陸《ひたち》の国から参りましたので。
同行四 私らは越後《えちご》の者でございます。
親鸞 まああなたがたはそのように遠くからいらしたのですか。
同行二 ずいぶん長い旅をいたしました。
親鸞 そうでしょうともね。常陸も越後も私には思い出の深い国でございます。
同行四 私の国ではほうぼうであなたの事を同行《どうぎょう》が集まってはおうわさ申しております。
同行一 あなたのおのこしなされた御感化は私の国にもくまなく行き渡っております。
同行三 まだお目にかからぬあなた様をどんなにお慕い申した事でございましょう。
親鸞 私もなつかしい気がいたします。あのあたりを行脚《あんぎゃ》したころの事が思い出されます。
同行五 あのころとはいろいろ変わっていますよ。
親鸞 なにしろもう二十年の昔になりますからね。
同行六 雪だけは相変わらずたくさん積もります。
親鸞 雪にうずもれた越後《えちご》の山脈の景色は一生忘れる事はできません。
同行四 も一度いらしてくださる気はございませんか。
親鸞 御縁がありましたらな。だがおそらく二度と行くことはありますまい。もう年をとりましたでな。
同行一 お幾つにおなりなされますか。
親鸞 七十五になります。
同行二 さっきちょっと承りましたら、あなたは御病気でいらっしゃいますそうで。
親鸞 はい少し風をひきましてな。もうほとんどよいのです。
同行二 どうぞお大切になされてくださいませ。
同行三 皆の者がいかほどおたより申しているか知れないのですから。
親鸞 はいようおっしゃってくださいます。(間。唯円をさし)この人は常陸《ひたち》から来ているのです。
唯円 私は常陸の大門村在《だいもんむらざい》の生まれでございます。
同行一 同じお国と聞けばなつかしゅうございます。もう長らく京にいられるのでございますか。
唯円 国を出てから十年になります。国には父が残っていますので恋しゅうございます。
親鸞 十五年前に私が常陸の国を行脚《あんぎゃ》したおりに、雪に降りこめられてこの人の家に一夜の宿をお世話になったのです。それが縁となって、今ではこうして朝夕いっしょに暮らすようになりました。
同行二 因縁《いんねん》と申すものは不思議なものでございますな。
僧一 袖《そで》の振り合いも他生《たしょう》の縁とか申します。
僧二 こうして皆様と半日をいっしょに温《あたた》かく話すのでも、縁なくば許される事ではありませんね。
僧三 一つの逢瀬《おうせ》でも、一つの別れでもなかなかつくろうとしてつくれるものではありませんね。人の世のかなしさ、うれしさは深い宿世《すくせ》の約束事でございます。
唯円 私は縁という事を考えると涙ぐまれるここちがします。この世で敵《かたき》どうしに生まれて傷つけ合っているものでも、縁という事に気がつけば互いに許す気になるだろうと思います。「ああ私たちはなんという悪縁なのでしょう」こう言って涙をこぼして二人は手を握る事はできないものでしょうか。
親鸞 互いに気に入らぬ夫婦でも縁あらば一生別れる事はできないのだ。墓場にはいった時は何もかもわかるだろう。そして別れずに一生添い遂げた事を互いに喜ぶだろう。
唯円 愛してよかった。許してよかった。あの時に呪《のろ》わないでしあわせだった、と思うでしょうよね。
僧三 人は皆仲よく暮らすことですね。
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一同しんみり沈黙。
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同行一 (ひざをすすめる)実は私たちが十余か国の境を越えてはるばる京へ参りましたのは往生《おうじょう》の一義が心にかかるからでございます。私たちはぜひとも今度の後生《ごしょう》の一大事が助けていただきたいのでございます。皆に代わって私が一向《ひとむき》にお願い申します。何とぞ往生の道をお教えくださいませ。
親鸞 さほどに懸命に道を求めなさるのは実に殊勝に存じます。私はいつも世の人が信心を軽《かろ》い事に思うのを不快に感じています。信心は一大事じゃ。真剣勝負じゃ。地獄と極楽との追分《おいわけ》じゃ。人間がいちばんまじめに対せねばならぬ事だでな。だが、あなたがたは国のお寺では聴聞《ちょうもん》なされませぬかの。
同行二 毎度聴聞いたしています。
親鸞 どのように聴聞していられます。
同行三 阿弥陀《あみだ》様に、何とぞ今度の後生《ごしょう》を助けたまわれとひとすじにお願い申せばいかなる悪人も必ず助けてくださると、こう承っていますので。
親鸞 そのとおりです。それでよろしい。
同行四 そこまではたびたび聞いてよく承知いたしています。それから先を詳しく教えていただきたいので。
親鸞 それを聞いて何になさるのじゃ。
同行五 極楽参りがいたしたいので。
親鸞 極楽参りはお国で聴聞なされてよく御承知のとおりの念仏で確かにできるのです。
同行六 でもなんだか不安な気がしまして。
親鸞 安心なさい。それだけで充分です。
同行一 あなたの御安心《ごあんじん》が承りたいので。
親鸞 私の安心もただその念仏だけです。
同行二 でもあまり曲《きょく》がなさ過ぎます。
親鸞 その単純なのが当流の面目です。単純なものでなくては真理ではありません。また万人の心に触れる事はできません。
同行三 ではございましょうが、あなたは長い間|比叡山《ひえいざん》や奈良《なら》で御研学あそばしたのでございましょう。私たち無学な者にはわからぬかは存じませぬが、御教養の一部をお漏らしなされてくださいませ。
同行四 それを承りにはるばる参ったのでございます。
同行五 国のみやげにいたします。
親鸞 (まじめな表情になる)いやそのさまざまの学問は極楽参りの邪魔にこそなれ助けにはなりません。信心と学問とは別事です。たとい八万の法蔵を究《きわ》めたとて、極楽の門が開けるわけではありません。念仏だけが正定《しょうじょう》の業《ごう》です。もしおのおのがたが親鸞はむつかしき経釈《きょうしゃく》をもわきまえ、あるいは往生《おうじょう》の別の子細をも存じおるべしと心憎くおぼしめして、はるばる尋ねていらしたのならば、まことにお気の毒に思います。私は何もむつかしい事は存じませぬのでな。その儀ならば南都|北嶺《ほくれい》にゆゆしき学者たちがおられます。そこに行ってお聞きなされませ。
同行一 御謙遜《ごけんそん》なるお言葉に痛み入ります。なおさらゆかしく存じます。
同行二 北嶺一の俊才と聞こえたるあなた様、なんのおろそかがございましょう。
親鸞 北嶺南都で積んだ学問では出離の道は得られなかったのです。私は学問を捨てたのです。そして念仏申して助かるべしと善《よ》き師の仰せを承って、信ずるほかには別の子細はないのです。
同行三 それは真証でござりますか。
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一同不審の顔つきをしている。
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親鸞 何しに虚言を申しましょう。思わせぶりだとおぼしめしなさるな。およそ真理は単純なものです。救いの手続きとして、外から見れば念仏ほど簡単なものはありませぬ。ただの六字だでな。だが内からその心持ちに分け入れば、限りもなく深く複雑なものです。おそらくあなたがたが一生かかってもその底に達する事はありますまい。人生の愛と運命と悲哀と――あなたがたの一生涯《いっしょうがい》かかって体験なさる内容を一つの簡単な形に煮詰めて盛り込んであるのです。人生の歩みの道すがら、振りかえるごとにこの六字の深さが見えて行くのです。(だんだん熱心になる)それを知恵が増すと申すのじゃ。経書の教義を究《きわ》めるのとは別事です。知識がふえても心の眼《め》は明るくならぬでな。もしめいめいがたが親鸞に相談なさるなら、御熟知の唱名《しょうみょう》でよろしいと申しましょう。経釈《きょうしゃく》の聞きぼこりはもってのほかの事じゃ。それよりもめいめいに念仏の心持ちを味わう事を心がけなさるがよい。人を愛しなさい。許しなさい。悲しみを耐え忍びなさい。業《ごう》の催しに苦しみなさい。運命を直視なさい。その時人生のさまざまの事象を見る目がぬれて来ます。仏様のお慈悲がありがたく心にしむようになります。南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》がしっくり[#「しっくり」に傍点]と心にはまります。それがほんとうの学問と申すものじゃ。
同行五 おそれ入りました。鈍《どん》な私たちにも
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