よく腹に入りました。極楽へ参らせていただくためには、ただ念仏すればよいのでございますな。ただそれだけでよいのでございますな。
同行六 鋭い刀で切ったように心がはっきりとして参りました。
同行一 ただ一つ私にお聞かせください。その念仏して浄土に生まれるというのは何か証拠があるのですか。
親鸞 信心には証拠はありません。証拠を求むるなら信じているのではありません。(一気に強く)弥陀《みだ》の本願まことにおわしまさば、釈尊《しゃくそん》の教説虚言ではありますまい。釈尊の教説虚言ならずば、善導《ぜんどう》の御釈偽りでございますまい。善導の御釈偽りならずば法然聖人《ほうねんしょうにん》の御勧化《ごかんげ》よも空言《そらごと》ではありますまい。(間)いやたとい法然聖人にだまされて地獄に堕《お》ちようとも私は恨みる気はありません。私は弥陀《みだ》の本願がないならば、どうせ地獄のほかに行く所は無い身です。どうせ助からぬ罪人ですもの。そうです。私の心を著しく表現するなら、念仏はほんとうに極楽に生まるる種なのか。それとも地獄に堕ちる因なのか、私はまったく知らぬと言ってもよい。私は何もかもお任せするものじゃ。私の希望、いのち、私そのものを仏様に預けるのじゃ。どこへなとつれて行ってくださるでしょうよ。
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一同しばらく沈黙。
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同行一 私は恥ずかしい気がいたします。私の心の浅ましさ、証拠が無くては信じないとはなんという卑しい事でございましょう。
同行二 私の心の自力《じりき》が日にさらされるように露《あら》われて参りました。
同行三 さまざまの塀《かき》を作って仏のお慈悲を拒んでいたのに気がつきました。
同行四 まだまだ任せ切っていないのでした。
同行五 心の内の甘えるもの、媚《こ》びるものがくずれて行くような気がします。
同行六 (涙ぐむ)思えばたのもしい仏のおん誓いでございます。
親鸞 さかしらな物の言い方をいたして気になります。必ずともにむつかしい事を知ろうとなさいますな。素直な子供のような心で仏様におすがりあそばせ。あまり話が理に落ちました。少しよもやまの話でもいたしましょう。もう名所の御見物はなされましたか。
同行一 まだどこも見ませんので。
同行二 京に着くとすぐここにお参りいたしましたのです。
親鸞 祇園《ぎおん》、清水《きよみず》、知恩院《ちおんいん》、嵐山《あらしやま》の紅葉ももう色づきはじめましょう。なんなら案内をさせてあげますよ。
同行一 はいありがとうございます。
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この時夕方の鐘が鳴る。
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唯円 お師匠様。夕ざれて、涼しくなって参りました。もうお居間でお休みあそばしませぬとおからだにさわりますよ。
同行四 どうぞお休みなされてくださいまし。
同行五 私たちはもうお暇《いとま》申します。
親鸞 いや、今夜は私の寺にお泊まりください。これから私の居間でお茶でも入れて、ゆっくりとお話しいたしましょう。(弟子たちに)お前たちもいっしょにいらっしゃい。唯円、御案内申しあげておくれ。
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親鸞先に立ちて退場。皆々立ちあがる。
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唯円 さあ、どうぞこちらにお越しなされませ。
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[#地から4字上げ]――幕――
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第三幕
第一場
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三条木屋町。松《まつ》の家《や》の一室(鴨川《かもがわ》に臨んでいる)
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人物 善鸞《ぜんらん》(親鸞《しんらん》の息) 三十二歳
唯円《ゆいえん》
浅香《あさか》(遊女) 二十六歳
かえで(遊女) 十六歳
遊女三人
仲居二人
太鼓持ち
時 秋の日ぐれ
遊女三人欄干にもたれて語りいる。
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遊女一 冷たい風が吹いて気持ちのいいこと。
遊女二 顔が燃えてしょうがないわ。(頬《ほお》に手をあてる)
遊女三 私は遊び疲れてしまいました。
遊女一 この四、五日は飲みつづけ、歌いつづけですものね。
遊女二 私は善鸞様に盛りつぶされ、酔いくたびれて逃げて来ました。
遊女三 善鸞様はいくらでもむちゃにおあがりなさるのですもの。とてもかないませんわ。そのくせおいしそうでもないのね。
遊女一 飲むほど青いお顔色におなりなさるのね。
遊女二 ばかにはしゃいでいらっしゃるかと思えば、急に泣きだしたりしてほんとうに変なかたですわね。私はお酒によって泣く人はいやだわ。
遊女三 ほんとうに私は時々気味が悪くなってよ。このあいだも私がお酒のお相手をしていたら、妙に沈んでいらしたが、私の顔をじっと見て、私はお前がかわゆいかわゆいと言って私をお抱きなさるのよ。それが色気なしなのよ。
遊女一 気が狂うのではないかと思うと、一方ではまたしっかりしたところがあるしね。
遊女二 私は始め少し足りないのではないかと思ったのよ。ところがどうして、鋭すぎるくらいしっかりしているのよ。めったな事は言われませんよ。
遊女三 なにしろ好いたらしい人ではありませんね。
遊女一 そんな事をいうと浅香さんがおこりますよ。
遊女二 浅香さんと言えば、あのかたにひどく身を入れたものね。あのおとなしい浅香さんがどうしてあのようなかたが好きなのでしょうね。
遊女三 それは好きずきでしかたはないわ。あなたならあのこのあいだ善鸞様の所に見えた、若い、美しい坊様のほうがお気に召しましょうけれどね。
遊女二 冗談ばっかし。(打つまねをする)あれはかえでさんよ。
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歌う声。話し声。人々の足音が聞こえる。
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遊女一 こちらにいらっしゃるようよ。
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善鸞、浅香とかえでと太鼓持ちと仲居を従えて登場。
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太鼓持ち これはしたり。おのおのがたにはここに逃げ込んでいられたか。
善鸞 私たちをまいて[#「まいて」に傍点]、ここに来て内緒でよい事をしたのかい。はゝゝゝ。
太鼓持ち ひそひそ話はひらに御容赦。
遊女一 (善鸞に)あなたこそおたのしみ。
遊女二 私たちがいてはお邪魔と思って気をきかしてあげたのですわ。
善鸞 これは恐れ入ったな。
太鼓持ち 恐れ入りやのとうさい[#「とうさい」に傍点]坊主。
善鸞 坊主とはひどいな。はゝゝゝ。
太鼓持ち これはとんだ失礼。(自分の頭を扇子で打つ)
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一同笑う。
[#ここで字下げ終わり]
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善鸞 黙って逃げた罰にもっとお酒を飲ましてやるぞ。おい酒を持って来い。
仲居 はいかしこまりました。(行こうとする)
浅香 もうお酒はおよしあそばせ。おからだに毒です。ゆうべから飲みつづけではありませんか。
善鸞 この私に摂生を守れと言ってくれるかな。お前は貞女だな。はゝゝゝ。ここで川の景色を見つつ飲み直そう。さっきのお前の陰気な話で気がめいった。(仲居に)すぐに持って来い。
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仲居退場。
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浅香 ほんとうにもうおよしなさればいいのに。好きでかなわぬ酒でもないのに。
善鸞 私は飲んで飲んで私のからだを燃やし尽くすのだ。からだで火をともして生きるのだ。火が消えるとさびしくてしようがないのだよ。
浅香 でもほどがありますわ。
善鸞 さびしさにはほどがないのだよ。魂の底までさびしいのだよ。
浅香 そのさびしさを慰めるために私たちがついているのではありませんか。
善鸞 うむ。お前たちは私に無くてはならぬものだ。お前たちがなくては生きられない。そのくせお前たちと遊んでいるとまたよけいさびしくなるのだ。浅香、お前はいつもさびしい顔をしているね。きょうはもっと陽気になってくれ。
浅香 でも私の性分なんですからしかたがありませんわ。
善鸞 きょうは皆騒ぐのだよ。何もかも忘れてしまうのだよ。さびしくても、楽しいものと無理に思うのだよ。人生は善《よ》い、調和したものと無理にきめるのだよ。(声を高くする)さあ今世界は調和した。人と人とは美しく従属した。人の心の悪の根が断滅した。不幸な人は一人もいない。みんな喜んでいる。みんな子供のように遊んでいる。あゝ川が流れる、流れる。ゆるやかに、平和に。(川を見入る)
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仲居、酒、肴《さかな》、その他酒宴の道具を運ぶ。
[#ここで字下げ終わり]
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善鸞 さあ、皆飲んだ、飲んだ。(遊女に杯をさす)
遊女一 もう堪忍《かんにん》してくださいな。
遊女二 私は苦しくてしょうがないわ。
善鸞 いやどうあっても飲ませねばいけないのだ。
太鼓持ち 君命もだし難く候《そうろう》ほどに。
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仲居遊女たちに酒をついでまわる。
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善鸞 (杯を手に持ちて)このなみなみとあふれるように盛りあがった黄金色《こがねいろ》の液体の豊醇《ほうじゅん》なことはどうだろう。歓楽の精をとかして流したようだ。貧しい、欠けた人の世の感じは、どこにも見えないような気がする。(飲みほす)この杯はだれにやろう。(見回す)かえで、かえで。小さいかえでに。(杯をかえでにさす)
かえで おおきに。(心持ち頭を傾け、杯を受け取る)
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仲居酒をつぐ。かえでちょっと唇《くち》をつけて下に置く。
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善鸞 かえで、何か歌っておきかせ。
かえで 私はいやですわ。ねえさんたちがたくさんいらっしゃるではありませんか。
善鸞 いやお前でなくてはいけないのだ。
太鼓持ち さあ、所望じゃ、所望じゃ。
かえで しょうがないのね。(子供らしい声で歌う)
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浅香三味線をひく。
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萩《はぎ》、桔梗《ききょう》、なかに玉章《たまずさ》しのばせて、
月は野末に、草のつゆ。
君を松虫夜ごとにすだく。
ふけゆく空や雁《かり》の声。
恋はこうした……
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善鸞 もうよい。もうよい。(堪えられぬように)おゝ、あの口もとの小さなこと。
浅香 (まだ三味線を持ったまま)まあ、不意に途中でお切りなさるのですもの。
善鸞 見てやってください。この小さい子を。よその荒男が歌をうたえと責めまする……(涙ぐむ)も一つおあがり。(かえでに杯をさす)
かえで もうたくさん。
太鼓持ち (女の声色《こわいろ》を使う)私がすけ[#「すけ」に傍点]てあげましょうわいな。(かえでの前の杯を取って飲む)
浅香 きょうのあなたはどうかしていらっしゃるのね。
善鸞 いやどうもしてはいないよ。
浅香 きょうはもうよしましょうよ。お顔色もよくありませんよ。私少しも騒いだりする気になれないわ。
善鸞 さびしい事を言う女だな。(浅香の顔をじっ[#「じっ」に傍点]と見る。やがて急に浅香の前髪の中に手を突き込む)
浅香 (おどろく)あれ、何をなさるのです。(頭に手をやる)
善鸞 …………
かえで 鬢《びん》がほつれてしまったわ。
善鸞 お前のふさふさとした黒髪を見ていたら、憎らしくなったのだ。(太鼓持ちに)これ、鶏の鳴くまねをしてみろ。
太鼓持ち 心得ました。(鶏の声色を使う)
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遊女たち笑う。
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