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善鸞 膝頭《ひざがしら》で歩いてみろ。
太鼓持ち こうでござりますか。(膝頭であるく)
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遊女たち笑う。
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善鸞 お前の頭をたたいてみろ。
太鼓持ち おやすいことで。(おのれの頭を扇子で打つ)
善鸞 (狂うように)もっと、もっと。
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太鼓持ちつづけざまにおのれの頭を打つ。
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善鸞 おゝ。(目をつぶる)
遊女二 たいそうお沈みなされましたのね。
浅香 (いとしそうに善鸞を見る)善鸞様。私は知っていますよ。お寺へやった使いの事で、心がお苦しいのでござりましょう。
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一座やや白ける。善鸞黙って考えている。
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遊女一 何を考えていらっしゃるの。
遊女二 たいそうお沈みなされましたのね。
善鸞 (急に浮き浮きする)今お前を身受けする事を考えていたのだ。
遊女二 (笑う)それは大きにありがとう。身受けしてどうなされます。
善鸞 はて知れた事。連れて帰って女房にする。さあこっちにおいで。(立ち上がり、遊女の手を取って引き立てる)
遊女二 じょうだんはおよしあそばせ。
善鸞 さあ、こっちにおいで。(無理に引っぱる)
遊女二 (よろよろして引っぱられる)いたずらをなさいますな。(振り放して座に返ろうとする)
善鸞 かわゆいやつめ。(後ろから遊女二を抱きしめる)
遊女二 あれ、放してください。放してください。(身をもがく)そんなになすっては、せつなくて、せつなくて、しょうがありはしないわ。
善鸞 (笑う)なんて色気の無い人だ。この人は。
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一同驚いて見ている。仲居登場。
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仲居 ただ今唯円様がお見えになりました。
善鸞 (遊女二を放す。やや動揺す)ここに通してくれ。(座に返る)
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一同沈黙、唯円登場。衣を着ている。
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唯円 御免くださいまし。(一座の光景に打たれ、ちょっと躊躇《ちゅうちょ》する)
善鸞 よく来てくださいました。待っていました。さあこちらにお通りください。だれも遠慮な者はいません。えらい所を見せますな。はゝゝゝ。
仲居 どうぞお通りくださいませ。
唯円 (座に通り、善鸞の前にすわる)先日は失礼いたしました。
善鸞 きょうは使いを立てて失礼しました。御迷惑ではありませんでしたか。
唯円 いいえ。あなたからのお使いと聞いて喜んで参りました。何か御用でございますか。
善鸞 いえ。用と言ってはありません。私はたださびしくってあなたに会って話したかったのです。
唯円 私もあなたに会いとうございました。
仲居 (新しい杯を持って来て唯円の前に置く)どうぞお持ちあそばしませ。
唯円 (もじもじする)私は飲みませんので。
仲居 でも一つ。
善鸞 いや、この人にはすすめてくれな。(唯円の不安そうなのを見て)私たちは少し話があるから皆あちらに遠慮してくれ。
仲居 かしこまりました。では皆さん。
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一同二人を残して退場。
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善鸞 このような所へあなたを呼んですみません。それに私はお酒に酔っています。
唯円 私はかまいません。私は喜んで来たのです。
善鸞 私はさびしかったのです。だれも私の心を理解してくれる人はありません。私はこうして酒を飲んでいても腹の底は冷たいのです。私は苦しいのです。私はこのあいだあなたと会った時から、親しい、温《あたた》かい気がするのです。私の胸の思いをすらすらと受けいれてくださるような気がするのです。あなたと向き合っていると、いろいろな事が聞いていただきたくなるのです。
唯円 私もこのあいだあなたと別れてから、あなたの事が思われてならないのです。あなたにお目にかかりたいといつも思っていました。あなたから使いの来た時にどんなにうれしかったでしょう。
善鸞 こんなに人をなつかしく思った事はずっと前に一度あったきりです。長い間私は心がすさんで来ていました。(間)私はあなたが好きです。
唯円 私はうれしゅうございます。あなたのようなかたをなぜ人は悪く言うのでしょう。私はそれがわかりません。先日も寺で皆様があなたの事を悪く言われましたから、私は腹が立ちました。そしてあのかたは善《よ》い人です。あなたがたの思っているような人ではありませんと言ってやりました。
善鸞 私の事をどのように悪く申しますか。
唯円 放蕩《ほうとう》な上に、浄土門の救いを信じない滅びの子だと申しています。父上に肖《に》ぬ荒々しい気質だと言っていましたよ。
善鸞 無理はありません。そのとおりです。私は滅びる魂なのでしょう。まったく荒々しい気質です。私は皆の批評に相当しています。
唯円 まああなたのように優しい御気質を……
善鸞 いや。(さえぎる)あなたの前に出ると私の善い性質ばかり呼びさまされるのです。しかしほかの人に向かうとまるで違って荒い気質が出るのです。
唯円 皆がよくないのだと思います。あなた自身は善いかたに違いありません。私はそれを信じています。
善鸞 (涙ぐむ)そのように言ってくれる人はありません。私は自分の気質が、自分で自由にならないのです。それには小さい時から境遇や、また私の受けた心の傷やのせいもありますがね。私は御存じのように長く父の勘当を受けているのです。
唯円 …………
善鸞 父にはいろいろな迷惑をかけましたからね。さぞ私を今でも憎んでいるでしょうねえ。
唯円 いいえ。違いますよ。お師匠様は陰ではあなたの事をどれほど案じていらっしゃるか知れませんよ。
善鸞 どうして暮らしていますか。
唯円 朝夕、御念仏三昧《おねんぶつざんまい》でございます。このあいだはお風を召しまして、お寝《やす》みなされましたが、もうほとんどよろしゅうございます。しかしだいぶお年をお召しあそばしましたよ。
善鸞 そうでしょうねえ。私はいつも稲田にいて、京へはめったに出ませんし、ことに面会もかなわぬ身で少しも様子がわかりません。私は親不幸ばかりしてはいますが、父の事は忘れてはいません。気をつけてやってください。
唯円 私はいつもおそばを離れず、お給仕申しているのです。
善鸞 父はあなたを愛しますか。
唯円 もったいないほどでございます。数多いお弟子衆《でししゅう》の中でも私をいちばん愛してくださいます。
善鸞 あなたを愛せぬ人はありますまい。あのかえでがあなたを好きだと言っていましたよ。(ほほえむ)
唯円 (顔を赤くする)御冗談をおっしゃいます。
善鸞 あなたは女というものをどんなに感じますか。私はあわれな感じがして愛せずにはいられません。ことにこのような所にいる女と触れるのが私はいちばん人間と接しているような気がします。世の中の人は形式と礼儀とで表面を飾って、少しもほんとうの心を見せてくれません。そのようなものを武装にして身を守っているのですからね。私はそのように用心をせずに触れたいのです。自分の醜さや弱さを隠さずに交わりたいのです。このような所では人は恥ずかしい事を互いに分け持っていますからね。どれほど温《あたた》かいほんとうの接触か知れません。それに私は女の与える気分に心をひかれずにはいられません。それは実に秋の露よりもあわれです。
唯円 私は心の奥で私が女を求めているのを感じています。しかし女とはどのようなものか少しもまだわかりません。またどのようにして触れたらよろしいやら手続きがわかりません。
善鸞 (愛らしいように唯円を見る)ほんとうにあなたは純潔です。私は自分は汚《けが》れ果てていますけれど、純潔な人を尊敬します。目の色からが違いますからね。だがおそらくあなたも女で苦しまずには人生を渡る事はできますまい。私などは物心がついてから女の意識が頭から離れた事はありません。しかし私はあなたを誘うのではありませんよ。はゝゝゝ。
唯円 (まじめに)このあいだもお師匠様とそのような話をいたしました。
善鸞 父はなんと申しましたか。
唯円 恋はしてもいいが、まじめに一すじにやれとおっしゃいました。
善鸞 ふむ。
唯円 私はあなたに聞こう聞こうと思っていましたが、あなたはどうして御勘当の身とおなりなされたのですか。
善鸞 (暗い顔になる)私は道ならぬ恋をしたのです。いや、道か、道でないかは私は今でもわからぬのです。私は人妻と恋をしました。
唯円 まあ。
善鸞 女は結婚せぬ前から私を恋していたのです。この世の義理が私の手から女を奪いました。しかし私の心から恋を奪う事はできなかったのです。その後の出来事はその矛盾の生む必然的な結果でした。女の夫は私の親戚《しんせき》でした。それが悲劇を複雑にしました。私は恋ゆえに道を破った悪人になりました。(ののしるように)恋が道を破るのか、道が恋を破るのか私は今でもわかりません。
唯円 女のかたはどうなされました。
善鸞 離《さ》られてから病気になりました。私は会う事も許されませんでした。ついに女は死にました。私は死に目にも会えなかったのです。
唯円 女の夫のかたはどうなされました。
善鸞 泣いて怒りました。今でも二人の名を呪《のろ》っています。私はその人の事を思うとたまりません。私はその人を愛していました。おとなしい、善良な人でした。私はこの出来事の責任をだれに負わせるべきかがわかりません。私は悪いのに違いありません。しかしただそれきりでしょうか。私はむしろ人生の不調和に帰したいのです。もし世界をつくった仏があるならば仏に罪を帰したいのです。
唯円 おゝ、善鸞様、それは恐ろしい事です。私はあなたを愛します。私はあなたのために泣きます。どうぞ終わりの言葉を二度と言ってくださいますな。
善鸞 私は何もわかりません。何も信じられません。私は世界の成立の基礎に疑いをさしはさみます。なんという変な世界でしょう。不調和な人生でしょう。私はそれからというもの、心の中から祝福を失ってしまいました。ものの見方がゆがんで来ました。ものが信じられなくなりました。悲しみと憤りと悩みの間に、女ばかりが私の目にあかい花のように映じます。私は女の肌《はだ》にしがみついて、私の苦しみをやる道を覚えました。人は私を放蕩者《ほうとうもの》と呼びます。私はその名に甘んじます。
唯円 私はなんと申していいかわかりません。私はあなたの不幸な運命を悲しみます。あなたはほんとうにたまらない気がするでしょう。しかし仏様はどのような罪を犯したものでも、罪のままでゆるしてくださると聞いています。罪を犯さねばならぬように、つくられている人間のために、救いを成就してくださると、お師匠様から常に教わっています。
善鸞 あなたの信じやすい純な心を祝します。けれども私はそれが容易に信じられないのです。私の心が皮肉になっているのかもしれません。あまり虚偽を見すぎたのかもしれません。あまり都合よくできあがっている救いですからね。虫のいい極悪人のずるい心がつくり出したような安心《あんじん》ですからね。私は私の曲がった考え方をあなたの前に恥じます。しかし浄土門の信心は悪人の救いのように見えて、実はやはり心の純な善人でなくては信じ難いような教えですからね。私はやはり争われぬものだと思います。私が信じられぬのも私の罪や放蕩の罰と思います。あなたでも、父でも純な清い人ですからね。自分では深い罪人だと感じていらっしゃるけれど、魂を汚《けが》し過ぎると、ものがまっすぐに受け取れなくなるのです。私はずいぶんひどく汚れていますからね。とてもあなたには想像できません。たとえば(苦しそうに口ごもる)いや、とてもあなたの前では言えないような事をしていますからね。実に皮肉
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