な、卑しい、不自然な事をしていますからね。とても罰なくしてゆるされるような身ではありません。それは虫がよすぎます。私は卑しくても、このようなきたない罪を犯しながらそのまま助けてくれと願うほどあつかましくはなっていないのです。それがせめてもの良心です。私の誇りです。私はむしろ、かくかくの難行苦行をすれば助けてやると言ってほしいのです。どんな苦しい目でもいいと思います。それがかなわぬならば、私は罰を受けます。そのほうが本望です。
唯円 あなたのお話を聞いていると私はせつなくなります。あなたは私などの知らない深い苦しみを持っていらっしゃいます。あなたの言葉には尊い良心が波打っています。私はむしろ尊い説教でも聞いているような気がいたします。
善鸞 いいえ。私は一人の悪魔としてあなたの前に立っているのです。私は滅ぶる運命を負わされているのです。信ずる事のできない呪《のろ》われた魂をあわれんでください。
唯円 あなたは仏の子だと私は信じます。私はあなたと対していて悪魔らしい印象を少しも受ける事ができませんもの。善鸞様、私の申す事を聞いてください。私は何もあなたに申し上げるような知恵はありませんけれど。私はあなたは自分で自分の魂を侮辱していらっしゃると思います。ひねくれて物を反抗的にお考えなさると思います。私はあなたのそうおなりなさった道筋に無限の同情をささげます。しかしあなたの歩み方は本道をまともに進んでいらっしゃらないと思います。お師匠様が私に常々おっしゃるには、苦しい目に会ったとき、その罪が自分に見いだされない時は不合理な、恨めしい気がするものだ。その時にその恨みを仏様に向けたくなるものだ。そこをこらえよ。無理は無いけれどもじっ[#「じっ」に傍点]と忍耐せよ。相構えて呪うな。その時にその忍耐から信心が生まれるとおっしゃいました。墓場に入れば何もかもわかるのでありますまいか。その不合理の中に仏様の深い愛がこもっていることがわかったとき、私たちは仏様を恨んだ事を恥じるような事はありますまいか。人間の知恵と仏様の知恵とは違うのではありますまいか。
善鸞 あなたのお言葉は単純でもまっすぐです。幼くても知恵が光っています。私は鞭《むち》打《う》たれるような気がいたします。私は考えてみなくてはならないような気がしきりにいたします。
唯円 自分の魂のほんとうの願いを殺すのはいちばん深い罪と聞いています。
善鸞 あゝ私は素直なまともな心を回復したい。
[#ここから5字下げ]
両人沈黙して考えている。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
唯円 あなたはお父上に会いたくはありませんか。
善鸞 会いたくても会えないのです。
唯円 私がお師匠様に頼んでみましょうか。
善鸞 ありがとうございますが、ほっておいでください。とても会ってはくれませんから。
唯円 でもお師匠様も心ではあなたに会いたくっていらっしゃるのです。父と子とがどちらも会いたがっている。それが会えなくてはうそだと思います。それを妨げる力はなんでしょう。私はその力をこわしたい。私はたまらない気がします。
善鸞 その力は私の恋を破った力と同じ力です。その力はなかなか強いものなのです。私はその力を呪《のろ》います。しかしそれをこわす力がありません。
唯円 それは社会意志です。世の中のかたくなな無数の人々の意志です。その力は私のお寺の中をも支配しています。私はこのあいだその力に触れました。あゝどうして世の人はもっと情けを知らぬのでしょう。おのれの硬《かた》い心が他人を苦しめていることに気がつかぬのでしょう。私はなさけなくなります。
善鸞 私が今父に会う事は父のためにもなりません。たとい父がそれを許してくれても。浮き世の義理というものは苦しいものです。私は幼い時からその冷たい力に触れました。実は私は父の妻の子では無いのです。
唯円 (驚く)それは初めて承ります。
善鸞 私の母は稲田《いなだ》のある武士の娘でした。父が越後《えちご》にいる時に父の妻はなくなりました。父は諸方を巡礼して稲田に来て私の母の父の家に足を止め、稲田に十五年すみました。その間に私の母と父とは恋に落ちました。私はそのようにして生まれたのです。私は父母を父母と呼びうるまでには暗い月日を過ごしました。私は父をとがめる気は少しもありません。そこには人生の愛と運命の悲しさがありましょう。
唯円 あなたの母上はどうなされました。
善鸞 父が京へ帰るとき稲田に残りましたが、もはや死んでしまいました。
唯円 ほんとうに世の中は限りもなくさびしいものでございますね。
善鸞 私には世界は悲しみの谷のごとくに見えます。
[#ここから5字下げ]
両人沈黙。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
唯円 私はきょうはこれでお暇《いとま》申します。
善鸞 そうですか。きょうはうれしい気がしました。私はもっと話したいのですけれども。
唯円 私もいつまでもいたいのですが、お師匠様に内緒で来たのですから。
善鸞 私のために苦しい思いをさせますね。許してください。きょうはいろいろと考えさせられました。ありがたい気がいたします。
唯円 私はこんなに充実して話した事はありません。きっとまた参りますからね。
善鸞 できるだけたびたび来てください。私はいつもさびしいのです。
唯円 では失礼いたします。(立ち上がり、入り口のそばまで行き振り返り、力を入れて)もしおとう様が会うとおっしゃればどうなされます。
善鸞 (考えて、きっぱりと)私は喜んで会う気です。
唯円 ではさようなら。
善鸞 (見送る)さようなら。
[#ここから5字下げ]
唯円退場。善鸞しばらく立ったまま動かずにいる。やがて部屋《へや》の中をあちこち歩く。それから柱に背をあてて立ったままじっと考えている。
浅香絹張りの行灯《あんどん》を持ちて登場。入り口に立ちながら善鸞を見る。善鸞浅香に気がつかずにじっとしている。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
浅香 善鸞様。
善鸞 (浅香を見る)浅香お前はどう思う。ここに父と子とがある。父は諸天の恵みに浴して民は聖者と仰いでいる。子は酒肉におぼれて人は蕩児《とうじ》とさげすんでいる。父と子とは浮き世の義理に隔てられつつ互いに慕うている……
浅香 まあ、だしぬけに……(注意を集中する)
善鸞 互いに飢えている。しかし会えば父の周囲の美しい平和が傷つけられる。人々は猜疑《さいぎ》と嫌悪《けんお》の眉《まゆ》をひそめる。父の一身に非難が集まる。その時に子はどうしたらよいのであろう。会うのがよいか会わぬがよいか。
浅香 (声をふるわす)会わぬがよい。
善鸞 もし父が招いたら、迷える子よ、かえって来よと言ったら。
浅香 (苦しげに)会わぬがよい。
善鸞 おゝ。(よろめく。柱で身をささえる)
浅香 善鸞様。善鸞様。(はせよって善鸞を抱く)
善鸞 私はわからない。私は思いにあまる。私は……助けてくれ。
浅香 会わずに祈ってください。父上の平和と幸福を祈ってください。私は強くなければなりません。あなたが私に、弱いと知っていらっしゃる私に助けをお求めなさるなら。あなたはずっと前にあなたの生涯《しょうがい》の運命をきめるあぶない時に、今と同じ別れ道にお立ちなされたのではありませんか。おいとしいあなたの恋人と、おとなしいお従弟《いとこ》との一生の平和を守ってあげねばならないときに、あなたはお弱うございました。人をも身をも傷つけたとあなたは私におっしゃいました。なぜあの時泣いて耐え忍ばなかったろうと、あなたは幾度後悔なすったでしょう。たったきょうの昼間です。あなたが初めて、あなたの悲しい物語を私に打ち明けてくだすったのは。あなたは私の膝《ひざ》の上でお泣きなされました。まだ涙もかわかぬくらいです。その時あなたは私があわれな父母の犠牲になっている事をほめてくださいました。他人をしあわせにするために、苦しさを忍べとおしえてくださいました。
善鸞 お前は私の言葉をそのまま繰りかえすのだ。
浅香 (泣く)あなたに鞭《むち》をあてるのです。私のことばの強そうなこと。
善鸞 私の良心の代わりになってくれたのだ。
浅香 おいとしい善鸞様。
善鸞 そうだ。私は強くなければならない。かわゆいやつ。(浅香を強く抱く。舞台回る)
[#ここで字下げ終わり]

      第二場

[#ここから3字下げ]
親鸞聖人居間
清楚《せいそ》な八畳、すみに小さな仏壇がある。床に一枚《いちまい》起請文《きしょうもん》を書いた軸が掛かっている。寝床のそばに机、その上に開いた本、他のすみに行灯《あんどん》がある。庭には秋草が茂っている。
[#ここから5字下げ]
人物 親鸞《しんらん》 唯円《ゆいえん》 僧二人 小僧一人
時  同じ日の宵《よい》

親鸞寝床にすわって僧二人と語っている。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
僧一 ではやはりお会いなさいませぬのですな。
親鸞 うむ。(うなずく)
僧二 私もせっかくそのほうがよいと思っていたのです。
僧一 同行衆《どうぎょうしゅう》の間にいろいろな物議が起こってはおもしろくありませんからな。
僧二 口さがない世の人々はどのようなうわさを立てるかわかりません。また若い弟子《でし》たちのつまずきになってはならぬと思います。
僧一 若い弟子たちの間にはだんだんと素行の乱れたものもできだしたようでございます。木屋町のあるお茶屋から出て来るのを見たと申すものもございます。
僧二 世間ではそれを真宗の教えは淫逸《いんいつ》をもきらわぬからだなどと申しています。
僧一 他宗の者どもは当流の繁盛をねたんで非難の口実を捜している時でございます。
僧二 なにしろ気をつけなければならない大切な時期と思います。(間)実は唯円殿は善鸞様のところに時々会いに行くといううわさがあるのでございますがね。
親鸞 そうかね。唯円は私には何も言わぬけれどね。
僧一 どうも少しそぶりが怪しいようでございます。先日も善鸞様の事をひどく弁護いたしておりました。
親鸞 私から注意しておきましょう。
僧二 善鸞様はこのごろは木屋町へんのあるお茶屋で、毎日居つづけして遊んでいられるそうでございます。
親鸞 あの子には実に困ります。お前がたにはいつも心配をかけてすまないね。
僧一 いいえ。私たちはただあなたのお徳の傷つかぬように祈るばかりでございます。
僧二 あなたのような清いおかたにどうしてあのようなお子ができたのでございましょう。
僧一 せめて京においであそばさねばよろしいのでございますが。
親鸞 どうか人様に迷惑をかけてくれねばよいがと祈っています。(頭《こうべ》をたれ、黙然としている)
[#ここから5字下げ]
少時沈黙。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
僧一 もう晩のお勤めになりますから失礼いたします。きょうは由ない事をお耳に入れてすみませんでした。
親鸞 いいや。
僧二 あまりお気におかけなされますな。おからだにさわってはなりません。
親鸞 ありがとう。
僧一 ではまた後ほど。
僧二 お大切になされませ。
[#ここから5字下げ]
僧一、僧二退場。親鸞目をつむり、考えに沈む。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
小僧 (登場)暗くなりました。火をつけましょう。(行灯《あんどん》に火をつける)
親鸞 唯円はどうした。
小僧 お午《ひる》下がりに用たしに行って来ると言って出られました。もうお帰りになりましょう。晩のお勤めまでには帰ると申されましたから。
親鸞 そうか。
小僧 今夜はお気分はいかがでございますか。
親鸞 おかげでいい気持ちだ。きょうはお庭を掃除《そうじ》してくれて御苦労だったね。
小僧 しばらく手入れを怠るとすぐに雑草がはびこりますからね。
親鸞 くたびれたろう。今夜は早くお寝《やす》み。
小僧 は
前へ 次へ
全28ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
倉田 百三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング